2012年10月27日土曜日

陸行一月は卑弥呼らの知性の産物



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録16:33頁

 《陸行一月は卑弥呼らの知性の産物
 「陸行一月は卑弥呼らの知性の産物

 だが伊都国から隼人へ行くのに、

 どうして大変な登り坂が続く八代からの悪路を行って、

 無駄な苦労をする必要があったのか?。

 船で隼人まで直接行けるし、

 他にも幾らでも安楽に行けるコースがあるじゃないか。

 私は数十年前から講演や講義をするたぴに、

 こうした詰問を受け続けてきた。

 もう答をよくご存じの方も多いが、

 繰り返してお話ししておこう。

 理由は前記のとおり危機一髪の国際情勢に直面していたからなのだ。

 魏と友好条約を結び、官位を受けはしたものの、

 決して信頼して安心してはいられなかった。

 卑弥呼は大変な困難を冒して隼人に都を移したが、

 そこも本当は船で直行できるところだし、

 南九州の東西の海岸からの距離も短くて、

 魏の大軍が改めてくればひと堪りもない。

 それを魏人に知られないようにと、

 わざと最も不便で困難なコースを通らせて、

 「倭国は難攻不落だ」と

 魏人の侵略意欲を削(そ)ごうとしたのである。

 だが魏人が実際にそのコースを通って体験しなければ役に立たないから、

 説得して同行させた結果が冢の魏の尺度「歩」だったのだ。

 こうした現代人なみの高い知性の痕跡は、

 倭人がそんな道しか知らず、

 良い道も作れないような蛮人ではなかった証拠である。

 だが在来の史学は寓話である神話?の真意も酌めずに、

 ただ崇め奉って、

 世界に通用しない幼稚な解説で私たちと祖先を泥塗れにしてきた。

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