2012年10月28日日曜日

これまでのシステムの総括



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録16:34~37頁

 《これまでのシステムの総括
 「これまでのシステムの総括

 今でもよく「言語復原史学」とは、

 どういう学問か?と訊ねられる。

 しかし具体的な効果が証明されて初めて納得できるもので、

 座談中の短い時間に抽象的に説明しても理解できないと思い、

 いっもお座なりな返事しかできずにいた。

 本講座でも、

 例題の個々の対象をどう処理するかという、

 基礎的な技法の講義が先決で、

 一つの命題をあらゆる角度から徹底して

 追及するという段階に入るまでの準備期間が、

 予想以上に長くかかってしまったが、

 このあたりで本学がどれくらい凄い復元力をもっているか、

 ご覧に入れたくて、

 今回は可能な限り「伊声耆=吉備津彦」に集中して、

 卑弥呼政権敗北時の様相を浮き彫りにする試みをご覧戴くことにした。

 それでも限られた経済条件の枠に阻まれて、

 半ばを辛うじてクリアーできた程度にとどまったし、

 それさえも消化不良の部分が目立つが、

 過去の日本の古代史学と比較して戴けば、

 まずまずご満足のいく号にはなったと思う。

 一般向け出版社の出版物には、

 とうていこんな面倒な追及は並べていられないので、

 結論だけを羅列したものになり、

 独断と偏見に見えたと思うが、

 本学の著書には全て、

 本号にみるような徹底した史実の裏付けがあったのである。

 実地に応用して載く際の手引きとして、

 ご活用戴けるものとご期待申し上げている。

 「名乗り」と「地名」による

 言語復原のシステムを、手軽に応用できるように、

 これまで習得して戴いたものを体系づけ、

 総括しておくので、ご活用のほど。

 1 名乗りを構成する地名の捜査と発見と分類整理。(以下すべて記録、リストアップ)。

 2 その地名の語源、国籍、搬入者、分布などの研究。

 3 それらの地名の地理的な配置の理由の考察。

   それを記録、分類して整理保存する。

 4 その地名の発音と、歴史人物の「名乗り」との科学的な比較。

   地図、索引で整理。

 5 それらの、言語や方言の違いによる発音と当て字の差異、時代変化の研究と整理。

 6 その発音の、名乗りとの関係の分析。

   当て字が相違する理由の考察と確認。記録。

 7 その名乗りの発生した政治環境の分析と確定。

   事件の再考。

   名乗り継承の状況。

 8 以上を総合して、

   その地名と名乗りが何を表示しようとしたのかを確認する。

 9 それと文献が紀録・表現している歴史とを比較して、記録の不合理点を発見する。

 10 その不合理が、言語の時代変化や人々の変動なと、何によるものかを確認する。

 11 その不合理が、環境によるものでなければ、人為的なものとして筆者を検討する。

 12 筆者が特定できなくても、彼らと支配者などの置かれた立場、時代なとを分析する。

 13 それらから見えてきた理由を、補強できる証拠を、その文献記事から集める。

 14 同じものを他の文献からも集めて、分類整理し、何時でも取り出せるようにする。

 15 こうして整理済みの答えで、それぞれの人物像を「史実のもの」に復元する。

 16 それらの復元人物を正しい位置に戻して、実際にあつた歴史を再構築する。


 これで初めて「言語復原史学」の骨組みが出来上る。

 しかしそれに肉付けし、皮膚を着せ、植毛し、五官を備え、生命を吹き込んで、

 生きて活動するものに育て上げるまでには、

 まだ前途に以上の手続きによる他の文献の復元と、

 それとの合体。

 世界史の「言語復原史学化」完成と、

 それとの合体という

 「壮大な深淵(カオス)」が横たわっている。

 だが私たちはすでに、

 それらを消化し尽くす可能性を身につけている。

 その1例が大学講義録16の伊声耆なのである。

 過去の邪馬台国畿内説論者はもちろん、

 他の地域説の論者にも、

 卑弥呼が邪馬壹国政権との戦いに敗れて

 「国譲り」をしたと書いた人は一人もいない。

 「彼女は確かに死んだけれど、

  大古墳(多分、箸墓)に丁重に葬られて邪馬台国は延々と続いた、

  それが奈良のヤマト朝廷なのだ」というのが、

 積極的、消極的の差はあるが、

 彼らの主張だからだ。

 彼らには、伊声耆や吉備津彦の名乗りも、何の役にも立たない。

 卑弥呼が大国主だとか、

 倭人が海老野から日向へ逃げたなどと想像もしない。

 これほど明瞭に揃った証拠群でさえ、

 まるでゴミ同然に捨てたまま捨てたことにさえ気づかずに、

 ただ呆然としていただけである。

 そんなものが本当に史学といえるかどうか、考えるまでもないと思う。

 史学に限らず、人類はまだ発展途上にある。

 完全なものなどどこにもない。

 私たちの言語復原史学もまだまだ不完全ではある。

 だが自説が完全だと思い上がって進歩が止まるようなことはない。

 なぜならそれが止まったとき、

 この史学は死んで名も残らないからである。

 だがこの体系は容易には死ねない。

 なぜなら、

 解明を待つ疑問は全世界に溢れているからである。

 私たちの技法はそれに応じて新しい頭脳組織を成長させて行く、

 個人は死ぬが体系はさらなる成長を続ける。

 あなたのお仕事も不滅に近い生命をもっているのである。

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