2012年10月16日火曜日

なぜ佐賀か?出雲からどこへ行ったか?



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録16:22頁

 《なぜ佐賀か?出雲からどこへ行ったか?
 「なぜ佐賀か?出雲からどこへ行ったか?

 伊佐賀がなぜ佐賀の語源か?。

 これは伊達をなぜ「ダテ」と発音するのか?

 という疑問と共通している。

 伊達の語源は葦駄天という仏教の守護神の名だが、

 この発音は「イダテン」。

 それなのに伊達は「ダテ」と発音して、語頭の「イ」を嫌っている。

 伊佐賀と佐賀も、これと同じく語頭の「イ」を嫌って、伊を省いている。

 これは沖縄から鹿児島にかけて住んでいたマレー語を話す人々

 (沖縄の3母音語もサツマもマレー語)の仕業なのである。

 マレー語で「イ」は「王」だ。

 王でなくなった者からは取り去る。

 伊声耆は確かに今の佐賀の地域にあった伊都国にいて支配者でもあったが、

 やがてその地位を奪われ、国を譲ってどこかへ去って行った。

 「イサガ」でなくて「サガ」に訂正したのである。

 ではついでに伊声耆一族はどこへ行ったかも考えてみよう。

 出雲へ行った証拠は前ページで充分見たがそれだけではない。

 群馬県の伊勢崎市は

 「伊=伊、勢=声、崎(キ)=耆(キ)」で

 完全に同じ名乗りの別字である。

 しかし伊勢崎という姓は本来、九州の姓なのである。

 これが偶然や他人の空似ではない証拠は、

 伊声耆の同族・都市牛利の名乗りもまた隣県の栃木に入っている。

 都市牛利を「トチギュウリ」と発音すると、

 「栃木入・彦」と書けるし、

 後で詳しくお話しするが、

 崇神天皇の皇子女・豊城入彦兄妹は皆「栃木入」に合うのである。


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