2014年4月7日月曜日

日本=ヤマトは多人長(おおのひとなが)が創作した私案


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録34:20頁

 その「神武天皇 人代『ひとのよ』第一」に

 「日本 者」に対して

 「ヤマト ハ」と振り仮名がしてある。

 この読み方は当時の常識だったのだろうか?。

 『私記』の内容を見てみると、

 『日本書紀』の全文ではなく、

 特に意味不明の難しい言葉だけを拾い出して振り仮名し、

 その中でもさらに難しいものだけ詳しい注釈がつけてある。

 「日本」も、どう読むのか?

 誰も知らなかったから取り上げて、

 私の考え(私見)では「ヤマト」と読むのがいいと思うと、

 個人的意見を述べているから『私記』なのである。

 当時の常識どころか、

 何と読むのかさえわからなかったことがわかる。

 倭についてはご存じの通り『日本書紀』が、

 倭の国号を嫌って使わないから人長の説明もない。

 これで9世紀の弘仁までは、

 倭も日本も「ヤマト」などとは読まれていなかったことが、

 はっきり証明された。

 繰り返すが「ヤマト」と読むのは

 人長の「私=個人的な」考えであって、

 彼の私見が広まっただけなのだ。

 日本と倭が、どちらも共にヤマトと呼ばれていたわけではない。

 それを無知な後世の学者は研究もせず疑問ももたずに、

 日本と倭は、

 どちらも「ヤマト」と読むのが正しいと教え、

 神武天皇の即位以来、

 我が国の国号は「ヤマト」であって変わらず、

 日本も倭も大倭も大和も、

 全てヤマトに対する当て字だと、

 教え続けてきたのである。

 《日本=ヤマトは多人長(おおのひとなが)が創作した私案
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