2014年4月16日水曜日

魏の役人が「壹(いち)と臺(だい)」の文字を間違えるか?


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録34:29頁

 邪馬壹(イチ)国は、

 邪馬臺(ダイ)国を書き違えた可能性など、

 考える必要もない。

 だがそれでも念を入れて視点を変えてみよう。

 文字の国の中国人、

 それも見事な報告書を書いた知性人の張政や、

 文書専門家の役人が「壹と臺」を間違うか?。

 と考える必要が残っていたからだ。

 魏では郡の報告書は、

 太守から本国の秘書監・左民尚書(さみんしょうしょ)・

 尚書僕射(ぼくや)・尚書令・

 御史中丞(ぎょしちゅうじょう)・太傅(たいふ)と

 経由して皇帝に届いた。

 それらの役所では印刷やコピー機のある現代とちがい、

 次々に筆写しなければならない。

 そこで間違いを防ぐために、

 常に一定の文字で綺麗に聖書して、

 丁寧に読み合わせをし、

 質問に答えて、

 間違いを防ぐ制度が漢代から出来上がっていた。

 また当時は木簡・竹簡で、文字は

 今の活字と違い大きいから見(み)間違えることは絶対にない。
 
 ことに、壹の冠(かん)(上部)は

 「士(サムライ)」だが、臺の冠は「吉(キチ)」。

 脚(きゃく)(下部)も「豆」と「至」で、画数が全く逢う。

 よほどのウッカリ者でも、

 専門職がこれを間違えることは絶対にない。

 ましてやこの場合の筆写者は、

 魏の皇帝にまで読まれる字を書く粒選(よ)りの官僚学者である。

 さらに彼らは金印紫綬(しじゅ)を授けたほど

 外交上重要な相手国の名は、

 よく聴いて熟知していた。

 その一字が「イェッ」か「ダグ」か、よく知っていて、

 間違えて書くことなど絶対にないし、

 筆写の都度(つど)、

 常に読み合わせが行なわれて、

 間違いがあれば必ず訂正されたのである。

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