2013年9月5日木曜日

トンチンカンだが明瞭になった倭王・珍


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録27:17頁

 次は倭王・珍だが、倭王の名乗り、その他については、

 私(加治木義博)著『誰が巨大古墳を造ったのか』

 (EEロングセラーズ社刊・平成4年)で

 かなり詳しくお話ししてあるので、そこでカットされたり、

 漏れたりした説明の、要点だけをここに追加することにしておこう。

 珍(古音チヌ)にそのまま合うのは

 茅沼(ちぬ)の海と呼ばれる大阪湾だから、

 大阪府の沿岸部に当たるが、

 沖縄語のチヌは本土語ではキノだから、

 紀伊の国も珍の本国だったことになる。

 これに合う名乗りは

 菟ヌ道ヌ稚ヌ郎子 トヌ チヌ チヌ 郎子

 木ヌ菟ヌ宿祢   キヌ トヌ    宿祢 木諾羅(コダラ) 百済(クダラ)

 紀ヌ角ヌ宿祢   キヌ チヌヌ   宿祢


 木奴国と書けばキナラで仏教名のキンナラ。

 これの当て字・木諾羅(コダラ)は沖縄発音だと百済(百済)になる。

 確かに紀角宿祢は百済の支配者だ。

 この百済をモズミと読むと百舌鳥耳で今の堺市である。

 そこに履中天皇陵の「百舌鳥耳原陵」がある。

 倭王・珍は履中天皇だとするほかない。

 だが在来の人は百済は「韓(カン)」だと思っていた。

 この多くの一致からトンチンカン=頓珍漢という日本語は

 これから始まったとみていいから、

 昔の人も高い知性で、

 こうし『記・紀』の大混乱を批判していたのである。

 ここで、それらの五王の陵墓を見ておく必要がある。

 トンチンカンだが明瞭になった倭王・珍

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