2013年9月28日土曜日

「畿内説」を完全に否定する播磨と高砂


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録28:12頁

 このことは、これまで大問題だった邪馬壹国の所在地は「畿内ではない」と

 結論する最も重要な決(き)め手である。

 なぜならそうした合体政権は、他にも多くの敵味方国連地名を共有している。

 たとえば高砂(たかさご)の尉(じょう)と姥(うば)は、壹與がモデルである

 『竹取物語』に起源をもつ。

 (私(加治木義博)著『日本国誕生の秘密はすべて「おとぎ話」にあった』ご参照)。

 この高砂も、播磨の中では重要な市(し)の名になっている。

 高砂の老夫婦は、皇国をヒロインとする伝承の登場人物なのだから、

 高砂は卑弥呼女王国の首都だった巴利国とは、

 全然無関係な名である。

 高砂が大きな地名として混入している播磨は、

 発音は卑弥呼の旁国・巴利国(ハリマ)と同じでも、

 卑弥呼の旁国ではなく、

 壹與以後の後世の移住先地名であって、

 時代も内容も巴利国(ハリマ)と一致しない。

 播磨は壹與政権成立以前の卑弥呼時代には近畿にはなかった国で、

 邪馬壹国の誕生以後に生まれた移住先名だとはっきりしている。

 当然、卑弥呼時代の巴利(パーリ)国では絶対にない。

 卑弥呼の都で、

 その後、邪馬壹国になった人口が七万戸もあった

 巴利国に合う地名をもつ市町村は近畿にはない。

 その巴利国は「近畿以外で同音の名をもつ土地」にあった。

 それに合う土地は日本列島全域の中にも、

 鹿児島県の姶良郡隼人町プラス国分市にしかない。

 これは「卑弥呼は播磨にも近畿にも絶対にいなかった」という、

 最強の、動かぬ証拠なのである。

 「畿内説」を完全に否定する播磨と高砂

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