2012年8月25日土曜日

朝鮮半島の百済は後世の植民地



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録14:25頁

 《朝鮮半島の百済は後世の植民地
 「朝鮮半島の百済は後世の植民地

 位宮や壹與がいた3世紀

 朝鮮半島には馬韓国が存在して、

 『魏書・東夷・韓』の章に、その国情が記録されている。

 その位置は後の百済とほぼ同じである。

 その中に百済と同じく

 「ハクセイ」と読める国の「伯済国」がある。

 これはその位置からいって百済の一族であり、

 後の百済王国の基盤を造った人々の国である。

 しかし朝鮮半島の百済が中国の文献に始めて現われるのは、

 5世紀に生まれた

 南齊の建元二年480年百済王・牟都の遣使記事からで、

 その前の『宋書』にある

 倭の五王の、初代・讃の名乗りの中に始めて出てくる百済の名は、

 その国がどこにあったか不明だが、

 仮にこれも朝鮮半島だとしても425年のことである。

 位宮の名乗りの一つ「穂穂手見」のポセイドンが、

 種子島の長谷ん野のポセイドンの名乗りである以上、

 朝鮮半島の百済は、

 後世にそこに移住した植民地(イオニア)であり、

 国民はイオ(魚)族だから、

 クダラという名は大魚クジラと無関係ではないはずだ。

 与那国のイオニア人から分かれた一族以外、

 持つはずのない特殊な魚の部族名を、

 国号にまでしているとすれば、

 やはりその出身地は朝鮮半島ではなく南海だと予測できるが、

 しかしクダラとクジラは少し違う。

 はたして本当に同じものなのかどうか。

 このよく似た名詞の真相が不明のままでは断定はできないから、

 次はその相互関係を検討してみよう。

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