2012年5月30日水曜日

伊邪国は九州で唯1か所、伊作だけが一致



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録11:28~30頁

 《伊邪国は九州で唯1か所、伊作だけが一致
 「伊邪国は九州で唯1か所、伊作だけが一致

 3 伊邪  伊勢国造(橿原朝) イセ・イゼイ・イシ

 これな神武天皇時代だという。

 『記・紀』の神武天皇記事は複数の天皇の史実の合成作品だったことは、

 すでに確認ずみだが(注 日本誕生シリーズほか参照)、

 その中心になったものは3世紀の山上王位宮の事跡で、

 すなわち卑弥呼当時。

 この伊勢国造は三重県の伊勢とは無関係なことは、

 もう議論する余地はない。

 伊勢という地名は三重県以外にも大量にあって、

 鹿児島県下にも多いが、

 それは海岸の地形をあらわす名詞で、

 海岸が砂浜ではなく、

 岩石で覆われて崖(がけ)になったところをいう、

 地域によって南向きのものを指すといった変化はあるが、

 それは一定していない。

 いわゆる磯と同じものが方言化したものである。

 だから伊邪国を地形起源の伊勢に当てるのは間違いだが、

 ついでに皇大神宮の伊勢の語源になった地域が、

 鹿児島県北部の伊佐郡と、
 
 その首都にあたる大口市であるというお話しを知っておいていただきたい。

 『日本書紀』欽明天皇紀の冒頭に、

 「天皇が幼いとき秦大津父という者を寵愛すると成人後かならず天下がとれる」

 といわれた夢を見て探させたところ、同じ名の人物が見つかった。

 するとその人は

 「伊勢に商いに行く途中、

  血まみれになって争っている2頭の狼に出会いましたので、

  お前たちは貴い神なのに、

  争っていては猟師に殺されてしまうぞ、と言い開かせて、

  血を拭って助けたことがありました」と体験を話した。

 天皇は

 「なるほど!だから神が夢で教えてくださったのだ!」

 と喜んで近侍にしたところ

 大いに富み栄えたので、その人を大蔵大臣にしたという話がある。

 狼の古名は大口の神という。

 伊佐の大口は「伊勢の大神=狼」という意味をもち、

 切っても切れない関係にある。

 これは大口市が

 皇大神宮発祥の地であるとするほかない重要な地名文化財の一例である。

 薩摩語は a を e と発音する場合が多い。
 
 大根はデコン、

 貝はケ、

 眼の古語マがメになったのも

 薩摩語が標準語になったことの遺物である。

 伊佐はイセという発音に対する当て字だから、

 神武天皇時代のこの

 伊勢国造は「伊佐郡の支配者」を意味している。

 けれども「伊邪は iar dzia 」でイァジャなので、

 伊を後世の固定した発音で、

 イと発音しても、

 イジャになる。

 これはイセ・イサの清音とはかなり遠い。

 この旁国の国名なら、

 どうしてもイジャに近い濁音の地名でなければいけない。

 だがイジャという発音には、

 薩摩語なら必ず変化するという動かせない原則的特徴があるそれは

 イジャとかショウユ、ショウチュウといった

 「シャ・チャ・チュ・キャ」などの拗音を嫌って

 全く使わないことである。

 だから

 醤油はソユ、

 焼酎は本場なのにショウチュウとはいわずソツという。

 正月もソガッ、

 医者はイサ、

 料理屋に至ってはラ行がザ行と母音に変わって、ズイヤになる。

 イジャは必ず「イザッ」になる。

 すると伊邪国のあったところはただ1か所に限定される。

 それは現在も昔のままイザッと発音されている「伊作」である。

 しかし残念にも今では吹上町と改名されて、

 温泉とバス停にしか名が残っていないが、

 名勝地・吹上浜を挟んで遠く北の

 東市来(いちき)町中海岸にも伊作田の地名が残るので

 古代伊作の勢力範囲がわかる。

 卑弥呼当時にはまだ薩摩語は入らず、

 原音のイァジャで呼ばれていたが、
 
 後にイジャからイザッになり、当て字も変わったのである。

 このイジャという発音は、

 鹿児島語でないとすればどこの言葉か?。

 それは沖縄語である。

 古謝クジャ、

 我謝ガジャ、

 比屋定ヒヤジョウ、

 北谷チャタンなどという拗音の地名や姓が

 かなりの量、残っているからである。

 崇神天皇の皇子「伊邪能真若=イザノマワカ」は、

 この伊作の伊邪国王という名乗りをそのまま伝えている。

 これもまた崇神天皇朝が奈良でなく鹿児島県にあり、

 卑弥呼政権であったことの疑いようのない確証の1つなのである。

 この伊作という地名は移動も拡大もしなかったから、

 薩摩半島だけにしか残らなかった。

 それだから動かない史実の証拠として非常に強い力をもつ。

 これはどの貴重な文化財はないといっても、

 言い過ぎではない。

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