2012年5月19日土曜日

卑弥呼は邪馬壹も邪馬台も知らない



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録10:24頁

 《卑弥呼は邪馬壹も邪馬台も知らない
 「卑弥呼は邪馬壹も邪馬台も知らない

 その伊都国以前の各国の説明は、

 「南 渡 一海 千余里 名 日 瀚海 至 一大国」

 (南に、名を瀚海という千里ほどある一つの海を渡って一大国に着いた)

 という順序だが、伊都国以後の各国の説明は、よくみると文体も簡単になり、

 順序も「東南 至 奴国 百里」(東南に奴国、距離100里)に変わっている。

 いうまでもないが、邪馬壹国も後者の中に入っている。

 伊都国で卑弥呼に会った梯儁は、

 大役を果たすと大急ぎで、そのまま帯方郡へ帰ったから、

 伊都国以遠の国々は全て彼が見たことも聞いたこもない国々である。

 邪馬壹国はその中にはいっていることを、

 はっきりと、頭に焼きつけておく必要がある。

 なぜなら、

 世にいう邪馬台国はおろか、邪馬壹国も、

 この倭人章には名が見当たらず、
 
 この邪馬壹国の名も、

 ここにただ一度だけ出てくるにすぎない。

 邪馬台・邪馬臺は実在せず、

 その邪馬壹国を読み損なっただけの亡霊的な妄想の産物なのであることを、

 ここでもう一度、

 しっかりと記憶しておいて戴きたいものである。

 すると、

 それから明確にわかることは、

 梯儁が会った卑弥呼の国は、

 絶対に邪馬壹国ではなかったという事実である。

 その国は卑弥呼の死後に誕生した

 壹與の国につけられた新政権の名であって、

 卑弥呼の生前にはそんな名の国も政権も存在しなかったのである。

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