2012年7月6日金曜日

張政が書き加えた邪馬壹国の誕生



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録13:8頁

 《張政が書き加えた邪馬壹国の誕生
 「張政が書き加えた邪馬壹国の誕生

 邪馬壹国誕生以後の当時の薩摩の宗教遺跡を検討すると、

 すべて仏教系でなくて神道系である。

 新政権の宗教は位宮の高句麗型の神道で、

 位宮が国防の緊急牲を主張して国王たちを説得し、

 味方につけて政権奪取に成功した一種の宗教革命だったことは明白だ。

 ここでの最重要問題は、邪馬壹という国名はいつ書き加えられたか、

 その時期がヤマタイ論争最大のキーポイントだという点である。

 それは今も一部の史学者が、

 この邪馬壹をなんの検討もせずに邪馬臺が正しくて壹は誤写だと盲信していて、

 この国名は卑弥呼が主権者だった国のものだと思い込んで、

 いまだに平気でいるからである。

 その考えは、倭=ウワイという仏教国の宗教が、

 信仰も思想も仏教とは全く相いれない神道を意味す邪馬教だという、

 絶対にありえない不合理で非現実的な、

 余りにも無知まるだしの素人的空想だ。

 魏は卑弥呼を一貫して倭王(ウワイ)と呼び、

 正式に授与した国名も親魏倭王なのだ。

 仮に彼女が邪馬臺国王だったのなら必ず親魏邪馬臺国王と書く。

 名は国や人と一身同体だから

 たとえ中国皇帝といえども勝手に変えることはできない。

 卑弥呼の生前には邪馬国だけが実在して邪馬壹も邪馬臺も存在しない。

 邪馬壹国は張政が遭遇した

 超特大事件=卑弥呼政権崩壊の報告書の最重要主語=新政権名と位置を、

 最新情報として最後に書き加えたものなのだ。

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