2013年4月3日水曜日
同族だった沖縄と呉(ゴ)の残した遺物
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録22:7頁
《同族だった沖縄と呉(ゴ)の残した遺物》
「同族だった沖縄と呉(ゴ)の残した遺物」
また漢訳や沖縄の対岸、呉で始まっていることも軽視できない。
なぜなら過去に
日本史学者が「世界・字宙」などと解説して来た前記の「六合」は、
その呉の一部が「六合県」として、
今もなお古代の史実を伝えているし、
「六合=リクアウ=陸奥=リクウ=琉球」という
日本語が生み出した地名があることも
解析ずみである。
また卑弥呼と同時代の呉の皇帝・孫権とその父が
ウースン系のギリシャ人の子孫であり、
呉孫権(ウースキン)、呉孫竪(ウースキン)は
どちらもウースン公(きん)という名乗りへの
九州語読みの当て字であり、
大隅も奥州も奥村も宇佐もまた、
このウースンへの当て字であることはすでによくご存じで、
当時の沖縄と呉との間に、
国境や国籍を考えるのは間違っているからでもある。
視点を変えても、
卑弥呼は魏への遣使に「上表(てがみ)」を持たせてやったから、
魏帝も彼女らの「好物」が鏡だと知ったのだし、
読めることがわかったから難しい漢文の詔書を長々と書いて寄越したのだし、
それに対するお礼をまた倭王・卑弥呼が即座に
「因使上表 答謝詔恩」したと明記している。
また、卑弥呼や邪馬壹国というのは、
中国人が我が国を軽蔑して卑しい「卑・邪」といった文字を、
わざわざ選んで使ったのだといい、
それが一般に信じられているが、
それらの文字も皆、
卑弥呼自身が使っていた文字だとはっきりわかっている。
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