2013年4月12日金曜日
幾重にも重なる証明をもつ下関=馬韓
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録22:16頁
《幾重にも重なる証明をもつ下関=馬韓》
「幾重にも重なる証明をもつ下関=馬韓」
だが念のため、
他にもそれを証明するものがないかみてみると、
下関が見つかる。
そこは今はシモノセキと発音しているが
「下」は「クダ」るの発音があり、
クダはマレー語の馬で、
下関に面した海は馬関海峡だから、
その別名が馬関だったこともわかる。
馬関=マカンで、馬韓と同音である。
『魏書倭人章』の記事では帯方郡使らは海路、
九州北部へ着くが、
そこには末盧だけあって他の国名はないから、
末盧と下関が対岸だった時代があったことは事実である。
だからその時代に対岸へ移住した人たちがマカンと呼ばれたことがわかる。
これは一見、朝鮮半島の馬韓から下関に入ったからマカンと呼ばれたので、
末盧からなら「マツ○○」と命名されたように思えるが、
しかし慎重に調べてみると下関の東に「下松(くだまつ)」がある。
この名は馬をクダとマレー語読みしたものに、
さらにダブって末盧のマツがついて「馬(クダ)・馬津(マツ)」という二重の名詞になっている。
これは「タダラから来たマツ人の国」ということで、
馬韓から下関に入った下関人とは別のグループだという表現である。
だから下関人は必ずしも馬韓国から来たとは断定できない。
以前にお話した朝鮮王の準は朝鮮から海を渡って韓へ逃げた。
卑弥呼以前の韓国=カラクニは
霧島の主峰・韓国見岳(からくにみだけ)から
見下ろせる姶良(カラ)国で、
それが北上して朝鮮半島の韓国になったのだった。
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