2013年4月17日水曜日
ウマー信仰の巫女だった婚前の卑弥呼
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録22:21頁
《ウマー信仰の巫女だった婚前の卑弥呼》
「ウマー信仰の巫女だった婚前の卑弥呼」
馬子と同時存在だった聖徳太子も、
その名は「厩戸(うまこ)」で、
これも「ウマコ」への当て字だ。
全てにおいて
同じ地位の同一の職務をもった二人の高官が、
同じ名をもっていては、
不便で混乱が甚だしいから現実にはありえない。
これはどこから見ても、
この二人は別人ではなく、
一人が二人に見えるように、
編集者がわざと記事を分裂させただけにすぎない。
では佐和氏が不思議がったほどに観音を非仏教的にした、
このウマー女神の混入、または意識的混合は、
いつ、どこで、だれが実行したことだったのだろう?。
そうした行為は観音信仰が盛んになった後、
さらに教義が緻密になることを要求されないと起こるものではない。
なのに卑弥呼以前の経典には、
一菩薩として扱われているだけで、変化のきざしもなかった。
ところが卑弥呼時代になると、
末盧国、馬韓国ばかりか、
これまでみてきたように至るところ「ウマ」だらけになる。
しかも卑弥呼自身、
倭迹迹日百襲姫の名乗りでも明瞭なように、
クダラ=百済を名乗りにもつ。
これらが声高に証言しているのは、
ウマ一女神の混入は、
卑弥呼の時に、
九州で、彼女が実行したということである。
彼女はソナカに見染められて結婚するまでは、
仏教徒ではなく他の宗教の巫女だったから、
その神がウマーだったとすれば、
この問題は一瞬に解決して、何の不思義もなくなる。
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