2013年4月25日木曜日

大和政権が強制した発音「アイラ」郡



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録22:29頁

 《大和政権が強制した発音「アイラ」郡
 「大和政権が強制した発音「アイラ」郡

 だがこれでは卑弥野原の崩壊、移動後に、

 卑弥呼と対立する宗教の支配者・もと高句麗王・位宮が、

 壹與を表に立てて『邪馬壹国』を建国した史実と逆になってしまう。

 この答は10世紀の『倭名類聚鈔』にある。

 「大隅国・第百三十二」に姶羅郡がある。

 この時代には大隅も平安京朝廷の支配下にあり、

 信仰や住民感情とは関わりなく、

 なるべく有名な歴史的地名が採用されて、

 行政区画名になったのである。

 これにも証拠がある。

 それは「アイラ」という発音は「南九州語ではない」こと。

 下記の可愛山陵が埃(えの)山陵と呼ばれるように、

 南九州語なら

 「アイ」は必ず「エ」と発音されるのに

 「アイ」と発音されていて、

 地元でも決して「エラ郡」とはいわない。

 この発音の特徴は地元で呼んだものではなく、

 国名変更を命じた大和政権がつけた発音だった証拠なのである。

 だが観点を変えるとこれも卑弥呼が姶良郡に居たという知識を、

 大和の役人がもっていた証拠である。

 それだけではなく、

 上記の神代三山陵の一つを『可愛山陵』(川内市)として

 『延喜式』の陵墓のトップに挙げている。

 それは天智・天武両天皇の焚書で消された

 史実に対する不満から繰り返された隼人の大反乱など、

 この南九州地域統治の難しさを反映して、

 被葬者の実体があいまいになっているが、

 その「愛」の名は明らかに卑弥呼のものである。

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 《参考》
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