2012年11月9日金曜日

国牽と「国襄?(こくしょう)」はどちらが本当か



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録17:14頁

 《国牽と「国襄?(こくしょう)」はどちらが本当か
 「国牽と「国襄?(こくしょう)」はどちらが本当か

 ここまでわかったところで、

 孝元天皇の名の「国牽(ヒク)」と高句麗王名の

 「国襄?(こくしょう)」はどちらが本当か?検討してみよう。

 彼は卑弥呼の「男弟」として政治面を担当していたから、

 本当に天皇の地位にいた。

 牽=引くで、卑弥呼政権の倭国連邦を引っ張る、

 文字どおりの「牽引車」の役割を果たしていたから、

 国牽(ヒク)という名は名乗りとしても、ごく相応しい。

 また彼の兄弟は、

 彦五十狭芹彦や稚武彦と、語尾に「彦」をもっている。

 この彦は日子、比古とも書かれるが、その沖縄発音は「ヒク」で、

 『魏書倭人章』の「卑狗」に一致する。

 また「国」の古語には、

 「国内」をクヌチというなど「クヌ」という発音もある。

 それなら国をクニと発音する日本語の語源を

 「国=クヌ=狗奴(沖縄発音)」とみても、

 それが定着したのは、

 まぎれもなく邪馬壹国から7~8世紀の大日本誕生時代で、よく合っている。

 孝元天皇が高句麗王家の出身で、

 「狗奴卑狗」であることも疑いない事実だから、

 国牽はクヌヒクへの当て字とみても、少しも不自然ではない。

 『日本書紀』の編集者らも以上のような根拠があって当て字したのである。

 どこから見ても「国牽(ヒク)」には正当性がある。

 これに対して「襄」の意味は「上る・攘(はら)う」などで、

 名乗りとしての意義が見出だせない。

 写し違いの可能性が大きいが、

 鹿児島に同じ発音の「国正(コッショウ)」姓があるのは無関係か?。

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