2012年11月10日土曜日
稚武彦が位宮でスサノオの尊
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録17:15頁
《稚武彦が位宮でスサノオの尊》
「稚武彦が位宮でスサノオの尊」
その大口市の東隣りの菱刈町に、
「湯の尾」という温泉地がある。
この名はジュピターの后である女神ユノオと同じ発音をもっていることも面白いが、
『三国史記』には位宮の本当の名乗りは「延優」で、
別名が位宮だと書いてある。
この延優の発音はエンユウではなくて「ユヌウ」。
若い位宮が「湯の尾=古代菱刈」の領主だったことがわかる。
彼には「少后=サホン」、との間に
「郊彘=ホンデ=ホンダ=コウテイ=皇帝」が生まれる。
これは、位宮=垂仁天皇が狭穂姫と結婚して、
「誉津別=誉田別」が生まれたのに一致する。
彼が高句麗を治めていた薩摩王家の一員で、
伊佐王=伊声耆の弟であったことは間違いない。
もう一人の罽須はキイズで吉備津。
彼は兄の羽月と戦って倒すから、伊声耆なのだ。
すると位宮は『古事記』の若日子建吉備津日子だということになる。
それなら「若・稚」はワカではなくて、
ジャクすなわち「邪久」であり、
「建・武」はタケで「高」。
もう一歩進めると「高の=狗奴」で、どこからみても
「邪馬+狗奴」の王と同じ名乗りになる。
とすれば「稚武彦」は邪馬壹国の位宮である。
検算してみよう。
彼は「下道=シバ教徒」側の吉備津彦だ=○。
彼は天照大神の弟のスサノオ2世だ=○。
稚武彦だけ名乗りの頭に「彦」がつかない。
彦のつく兄弟は日向倭国人だということ=○。
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