2012年11月14日水曜日

神武東征記事は大化大戦の神話化



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録17:19頁

 《神武東征記事は大化大戦の神話化
 「神武東征記事は大化大戦の神話化

 高市には高知と同じコーチという発音もあるから、

 倭国がまず四国を取りそれから近畿に移った記録に見える。

 河内も今はカワチと発音するが、

 これもコーチが一般的な発音だから、

 奈良へ入る前に河内を取った形で、

 倭王・武が歴代の苦戦を物語る通り、

 苦労して少しずつ侵略していった実態がわかる。

 ここで検討が必要なのは、

 この3地名は共通の発音はもつが、

 実際の発音は異なる点だ。

 高知も河内もコーチなのに

 高市だけがタカイチ・タケチと呼ばれてきた。

 その理由は武の前王「興」のコーと区別する必要があったからである。

 高知と河内はコーチだが「武」は「コー」とは読めないから、

 タケシに合うのは高市だけ。

 武が上表したときまでに彼が手に入れた新領土は、

 「高市だけ」だったのである。

 神武天皇が熊野から北上して白肩の津で戦い、

 片居で即位したという神武東征記事は、

 単に崇神天皇の裏返しであるだけでなく、

 熊野は熊津。

 白肩は枚方=白村江。

 片居は片江(大坂市生野区=カタイはカタエの沖縄発音)で、

 その間に登場する樟葉(くずは)(枚方市)などの

 特殊地名の一致で完全に立証済みの通り、

 大国・日本の皇祖・天智天皇による

 大阪の百済倭国(フジワラ)政権攻略を神話化したものに過ぎない、

 武=雄略天皇から現代まで続く天皇家が、

 それ以前に奈良にあった神武天皇系の大和朝廷を滅ぼして、

 奈良を奪ったのではない。

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