2012年11月25日日曜日

和泉黄金塚古墳は卑弥呼か壹與の墓か?



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録17:31頁

 《和泉黄金塚古墳は卑弥呼か壹與の墓か?
 「和泉黄金塚古墳は卑弥呼か壹與の墓か?

 この近畿陶芸産業の中心地・和泉は

 「景初三年鏡」を副葬していた

 「和泉黄金塚古墳」がある地域である。

 この鏡はその年号からみて、

 卑弥呼が魏から貰った百面の鏡の一つである可能性が高いというので、

 邪馬台国畿内説を非常に勇気づけ、

 一時は「黄金塚こそ卑弥呼の墓だ」と主張する人物まで現われたが、

 この古墳の発掘研究者の一人である

 森浩一氏(元同志社大学教授)らが、

 年代測定上、それはありえないと否定して、

 卑弥呼の墓説は消滅してしまった。

 念のため森氏の説を

 朝日新聞社刊の『邪馬台国のすべて』から抜粋しておこう。

 「語りかける出土遺物」森浩一「『和泉黄金塚古墳』(昭和二十九年)

 という報告書では

 「4世紀の中ごろか、その後半であろうと書いたのです。

  (中略)日本の古墳の年代を決める場合、

  有力な材料に使っておったのが天皇陵とその年代でありました。

  (中略)が意外と積極的に証明する資料がない。

  最近では古墳時代に関するほとんどの天皇陵を私は疑っております。

  (中略)天皇制の学問への呪縛から自由になろうと思うのです。

  (中略)黄金塚古墳の年代は、

  私は現在では5世紀の初頭まで下げなくてはいけないと考えています。

  それは日本の古墳との比較からも、

  また東棺にあった新羅の慶州の古墳から

  よく出る長さ六センチある水晶の切り子玉が、

  朝鮮の古墳との関係の手掛かりをあたえています。」

 『景初三年鏡
 「景初三年鏡

 『和泉黄金塚古墳
 「和泉黄金塚古墳

 『森浩一氏
 「森浩一氏

 『邪馬台国のすべて
 「邪馬台国のすべて

 『語りかける出土遺物
 「語りかける出土遺物

 『水晶の切り子玉
 「水晶の切り子玉

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