2012年11月20日火曜日
播磨とセットになって移動した摂津
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録17:26頁
《播磨とセットになって移動した摂津》
「播磨とセットになって移動した摂津」
では、そうした移動拡大は、
いつ、どういう状況で行われたのか?。
次はこの疑問に答えなければならない。
旁国の問題はそこまで追及して始めて史実を復元できるのであり、
それは私たちの言語復原史学なら可能である。
それを、また巴利国を使って見てみよう。
兵庫県の南部をみると西半分だけが
播唐=巴利国?で東半分は摂津である。
摂津もどこかからの移住者の国であろうか?。
答えはやはり「セッツ」という、その名の発音にある。
この発音にごく近い発音の名は、
摂津が南面している海についている。
「瀬戸」である。
「津」は港のことだから、
この地域の海岸をみると、その全域が砂浜で、
古代にはどこでも船をつけられる「津の国」だった。
「瀬戸津=セトツ」だが、それをセッツと発音するのは、
大隅・薩摩などの南九州語の特徴である。
すると命名者は巴利国人だったのか?。
瀬戸の海は今、
「瀬戸内海」とか「瀬戸内」とか呼ばれている。
そこは中国地方と四国とに挟まれて、
いかにも「瀬戸内の海」という感じがするが、
実はこれもまた鹿児島県の一部から移動してきたままの名前なのである。
その発祥地は奄美大島本島の西南端にある瀬戸内町である。
これで巴利国人だけでなく、
卑弥呼当時の投馬国人だった瀬戸内人も、
近畿まで一緒に移住してきたことがわかるが、
それでお終いではない。
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