2012年11月8日木曜日
「吉備津彦」が卑弥呼政権敗北の証拠
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録16:13頁
《「吉備津彦」が卑弥呼政権敗北の証拠》
「「吉備津彦」が卑弥呼政権敗北の証拠」
それは『記・紀』の編集者たちが
彦五十狭芹彦の別名と書いた吉備津彦の名が動かぬ証拠なのだ。
この「吉」という字は、キチ・キ・ヨシと読むほかに、
「エ」という読み方もある。
住吉を「スミノエ」、
日吉神社を「ヒエ神社」と発音するのがその実例である。
吉備津は「エビヅ」とも読める。
古語では「ツ」「ス」「ヅ」「ズ」の区別がなく、
全部「 zu 」だったから
吉備津は「エビズ」で、
恵比寿という当て字も生まれる。
大学講義録15では24頁で
卑弥呼も大穴持=大国主に当たり、
巴利国の跡である国分市に大穴持神社があるが、
彼女の言葉を取り次ぐ代理人の男性は、
事代主には合うが、恵比寿ではない、とお話しした。
なのに卑弥呼に次ぐ政権の座=軍君の地位にいる弟が、
完全に恵比寿と読める別名をもっている。
大学講義録15の説明はだめだ。
と思われたはずだが、それが私の狙いだった。
学問は緻密な考証が必要だと強く認識して戴くために、
恵比寿はわざと後に残したのである。
彦五十狭芹彦は武将であって、
卑弥呼の身辺の世話をした男性とは別人だったのだ。
卑弥呼には事代主と恵比寿とが2人ともいたのである。
事代主と恵比寿は同一人だと思い込んでいた
従来の常識?の方が間違っていたのだ。
卑弥呼姉弟は間違いなく大国主と恵比寿であり、
事代主までいた「国譲り」の主人公たち=敗者だったという事実、
これが動かぬ証拠なのだ。
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