2012年11月18日日曜日

卑弥呼仏教を排斥する教義 シラバッガ



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録17:23~24頁

 《卑弥呼仏教を排斥する教義 シラバッガ
 「卑弥呼仏教を排斥する教義 シラバッガ

 それでは、

 日本列島の西半分と朝鮮半島に、

 4~5世紀を暗黒に塗り潰すような、

 そんな悲惨で深刻な侵略戦時代を生み出し、

 さらに大化大戦と壬申革命を生み出したものは、

 一体、何だったのであろう?。

 それが卑弥呼の思想と政治の基本だった仏教と、

 位宮のシンドゥ教との対立による宗教戦争に始まったことは、

 ほぼ理解できているが、

 その対立の根拠が壹與を始祖王・赫居世とする新羅を生み出した教義に、

 戒律として明確に書かれているのである。

 その宗教とはインド名「 Silavagga シラバッガ」という戒律に従う、

 シンドゥ教の一派で、

 パーリ語で書かれた『梵網(ぼんもう)経』等にその教義が載っているが、

 「太陽神」

 「シュリ=吉祥天」

 「幸福の女神」を

 崇拝することを絶対に禁じている。

 その戒品(かいぼん)はその上

 「鏡、巫女、神託」まで厳禁している。

 ご覧の通り禁じられた全てが、卑弥呼の鬼道を敵としている。

 太陽は天照大神。

 シュリは卑弥呼の故郷・沖縄の古都・首里と同じ名。

 幸福の女神は観世音菩薩。

 鏡は卑弥呼の好物。

 巫女は尼=女王制。

 神託は倭迹迹百襲姫と神功皇后の特殊能力だ。

 まさに卑弥呼を排斥するために作ったように見えるが、

 それは当然でシラバッガは卑弥呼の宗教である原始仏教、

 ソナカが日本列島まで伝えたアショカ仏教そのものを、

 敵視していたのである。

 でもどうしてそんなインドの宗教が日本列島に伝わったのであろうか?。

 インドではソナカの母国マガダ国に栄えたマウリヤ王朝が、

 紀元前180年代にプシヤミトラに滅ぼされてシュンガ王朝が生まれたが、

 この名も「駿河=シュンガ=するが」という国名で日本に残っていて、

 インドからの移住者が古代から次々にやってきていたことを立証しいる。

 でもどうしてインドから人々が大量に、やって来ていたのであろう?。

 マウリヤ王朝滅亡後、

 バクトリヤ地方の

 ギリシャ人、

 サカ人、

 パルチア人の諸王が続々とインドを侵略分割し、

 紀元後25年、

 大月氏の王・クジュラ(鯨)・カドフイセスが、

 北西インドに侵入してクシャン王朝を建て、

 息子のウエマ(上間)・カドフイセスが大帝国化したが、

 小月氏の王・カニシカがさらに侵入してその大帝国を奪った。

 この間、難民が四方へ流出し続けたのである。

 このカニシカ王の金貨には仏像が描かれ、

 ギリシャ文字で「ポド=仏陀」と書かれている。

 当時のインド文化が日本列島はおろか、

 シベリア東端のカムチャツカ半島まで分布したことは、

 インドのシャーマニズム=沙門教が今も栄え、

 地名まで[マガダン州= KOH・Magadan ]と、

 マガダ国の名残をはっきり止どめていることで容易に納得できる。

 ユーロは今もヨーロツパの略称だが、

 『魏書東夷章』は、

 悒婁(ユーロ)人のギリシャ人そのものの裸体生活や皮服や穴居などで、

 ギリシャ人やサカ人らが東アジアに住んでいたことを記録し、

 また例の帯方郡使・張政も、

 その役職は郡の塞曹橡史(サカそうえんし)=塞(サカ)人部長であり。

 来た所も伊都すなわち今の佐賀(サカ)で、

 言葉が通じたからこそ、

 あんなに詳しく取材できたのである。

 『Silavagga シラバッガ
 「Silavagga シラバッガ

 『シンドゥ教
 「シンドゥ教

 『パーリ語
 「パーリ語

 『梵網経
 「梵網経

 『マウリヤ王朝
 「マウリヤ王朝

 『アショカ王
 「アショカ王

 『アショカ仏教
 「アショカ仏教

 『シュンガ王朝
 「シュンガ王朝

 『プシヤミトラ
 「プシヤミトラ

 『マウリヤ王朝滅亡
 「マウリヤ王朝滅亡

 『バクトリヤ地方
 「バクトリヤ地方

 『サカ人
 「サカ人

 『パルチア人
 「パルチア人

 『大月氏
 「大月氏

 『クジュラ・カドフイセス
 「クジュラ・カドフイセス

 『クシャン王朝
 「クシャン王朝

 『ウエマ・カドフイセス
 「ウエマ・カドフイセス

 『小月氏
 「小月氏

 『カニシカ王
 「カニシカ王

 『カムチャツカ半島
 「カムチャツカ半島

 『沙門教
 「沙門教

 『マガダン州= KOH・Magadan
 「マガダン州= KOH・Magadan

 『悒婁人
 「悒婁人

 『塞曹橡史
 「塞曹橡史

 『塞人
 「塞人

 『マガダ国
 「マガダ国


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