2012年11月26日月曜日

景初三年鏡200年伝世と副葬の謎



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録17:32頁

 《景初三年鏡200年伝世と副葬の謎
 「景初三年鏡200年伝世と副葬の謎

 氏は続けて

 「仮にこの鏡が二三九年に魏でつくられ、

  その年かその直後に日本列島に運ばれてきたとしましても、

  この古墳に埋めらるるまでの

  約二百年はどこでどのようにして保持されていたのか。」

 と結んでいるが、

 この鏡には実に大きな意義があり、答えがある。

 5世紀の古墳が卑弥呼の墓でないことは誰にでもわかる。

 それなのに卑弥呼当時の年代を彫った鏡が副葬されていた。

 これは、

 たとえどんな遺物が出ても、

 それだけでは卑弥呼の墓だと断定する証拠にはならない、

 という、

 発掘考古学の限界を教える重大な教訓なのだ。

 従来は何か出るとすぐ「邪馬台国だ!」と

 狂喜宣伝する考古学者が続出したが、

 景初3年鏡でも、

 こんなふうに証拠にはならない。

 粗雑な史観と売名に毒された似非学者には、

 真の史実はとても復元できない現実の厳しさを、

 はっきり頭に焼きつけておいて戴きたい。

 それより5世紀にも鏡を貴び、

 副葬する伝統を持ち続けた人々が、

 土師器と須恵器産業の経営者だったという事実と、

 その最高支配者らが、

 卑弥呼の鏡を意識して所有し続けており、

 景初三年の文字が権力の象徴として強力に役立っていたということ、

 その鏡は200年を超えて伝世されてきたのに、

 その伝統がこの黄金塚の主葬者で断たれて、

 死骸と共に葬り去られた事実。

 こうした史実が、

 復元史学の大収穫として貴重なのである。

 『卑弥呼の墓
 「卑弥呼の墓

 『発掘考古学の限界
 「発掘考古学の限界

 『卑弥呼の鏡
 「卑弥呼の鏡

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