2012年11月24日土曜日
和泉移住者は大隅・筑紫の混成軍
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録17:30頁
《和泉移住者は大隅・筑紫の混成軍》
「和泉移住者は大隅・筑紫の混成軍」
でもまだ、それだけで大隈人と断定してはいけない。
大隈は倭住(オースミ)とも当て字でき、
倭住はイズミとも発音できるが、
出水はイズンでイズミではない。
だから大阪府南部の和泉(イズミ)は大隅人の移住地なので、
証拠も多種多様にある。
ハシの名をもつ土師(ハジ)器もその一つなのだ。
この土師器と全く同じ立場に立つ、
古墳時代のもう一つの窯業製品に「須恵器」がある。
須恵は、これも九州の福岡県宗像市にある地名で、
土師器と同じ命名法の産物である。
これは「陶物・陶器」と書いても
「スエモノ・スエキ」と読む硬い陶質の焼物で、
古墳時代の日用品として、
また大阪府南部を中心に大量に生産され、
販売された一大産業の主役として、
古代経済史上の花形でもあろ。
それに比べると土師器は柔らかく壊れやすいので、
カワラケと呼ぶ下級品だったが、
後世には供物(くもつ)を盛る聖器として、
かえって余命を保っている。
実際に発掘してみると、
2種とも同じ窯跡から同時に出土する。
窯の高温部で須恵器を、
低温部で土師器を温度差を活用して焼いている。
これは単純にみると大隅と筑紫が一体化した形で、
『記・紀』に壹與が神功皇后として北九州へ遠征し、
筑紫国を傘下におさめて白日別にしたという記録があるから、
一見、移動者は邪馬壹国人であって、
卑弥呼政権の残党・日向倭国人ではないように見えるが、
一体?
どちらが正しいのであろう?
『土師器』
「土師器」
『須恵器』
「須恵器」
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