2012年11月28日水曜日

ついに不明の「反正天皇陵」発見



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録17:頁

 《ついに不明の「反正天皇陵」発見
 「ついに不明の「反正天皇陵」発見

 水間はミズマで、古い沖縄発音だとミズバである。

 倭の五王はすでにお話ししたとおり、

 讃は仁徳天皇。

 珍は履中天皇。

 済は反正天皇。

 興は允恭・安康天皇。

 武は雄略天皇である。

 反正天皇の名乗りは「瑞歯(ミズバ)別」だから

 ミズバ=ミズマ=水間である。

 そこに水間寺があるのは偶然ではない。

 多くの例証によって倭国の皇室の特質は、

 姫木山と卑弥呼と同じく、

 寺の名と天皇の名乗りの発音が一致すれば、

 その古寺は元皇居だったという証拠になる。

 さらに黄金塚の名も強い傍証になる。

 これを文字通りの金属名だとしては、

 全く無意味に近いが、

 「黄」をオウ、「金」をキンと漢音で読むと「オウキン」、

 「大君(おおきみ)」または

 「倭王(オウキン)」の九州発音に一致する。

 この地域の住民は九州からの移住者だ。

 埋葬当時の呼び名が残っていた間に、

 後世人が、わざとか、洒落てか、

 「黄金」と当て字したことが見えてくる。

 こうして和泉倭国の皇居が見つかると、

 そこで観世音菩薩を祀っていた優婆夷女王こそ、

 2人の武人と景初三年鏡に守られて眠る、

 この黄金塚古墳の主だと確認できる。

 これが大学講義録10の最後でお約束した問題のお答である。

 しかしそのお約束を果たすには、

 それまでの散発的な教材による講義を、

 徹底した精講に変える必要があったので、

 大学講義録11以降、現在のスタイルに変えさせて戴いた。

 少しお手間をとらせたが、ご満足戴けたと信じている。

 『倭の五王
 「倭の五王

 『讃は仁徳天皇
 「讃は仁徳天皇

 『珍は履中天皇
 「珍は履中天皇

 『済は反正天皇
 「済は反正天皇

 『興は允恭・安康天皇
 「興は允恭・安康天皇

 『武は雄略天皇
 「武は雄略天皇

 『姫木山と卑弥呼
 「姫木山と卑弥呼

 『水間寺
 「水間寺

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