2012年11月7日水曜日
「名乗り」は事件と運命を物語る
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録17:12頁
《「名乗り」は事件と運命を物語る》
「「名乗り」は事件と運命を物語る」
これで、百襲姫姉弟が卑弥呼姉弟だったことが、さらに確実になった。
しかしそれ以外の他の兄弟は、どういう運命をたどった人々なのか?、
『倭人章』に登場しているのか、いないのか?、
その名乗りは何を記録しているのか?見て行こう。
卑弥呼の次の妹とされる倭迹迹稚屋姫の名乗りは、
倭迹迹日百襲姫と前半は同じだから、
卑弥呼の後を継いだのなら、領地が減少しているし、
卑弥呼の若い頃の名乗りが混入したのなら。
彼女の初期の領地を示している。
『倭人章』は政治の表面だけを記録しているから、
敗者側の記事はなくて、
勝者・壹與の記事に隠れてしまっているが、
この名乗りの様子では、卑弥呼一族は分散して、
この妹らは故郷の南西諸島へ帰ったことになる。
それだとすると、もう倭国はもとの倭国ではないから、
ウォーの国は大島、トの国は一つは十島でトカラ列島としても、
もう一つは川内市の高城であるはずはないので、徳之島ということになる。
するとあとの「稚」は、付近でチのつく島は喜界が島が沖縄発音で「チカイが島」。
「若」なら「邪久」。
「屋」はオクと発音して沖の永良部島ということになる。
次の弟・彦狭島は、彦は「毛の」、狭は「タンネ」で種子島という名乗りだから、
政変とは無関係に種子島にいたか、
あるいは戦死して政変以前の名乗りしかないのかである。
『喜界が島』
「喜界が島」
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