2012年10月31日水曜日
天皇家系譜の謎を解く掖邪狗(ク)と掖邪拘(カウ)
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録17:5頁
《天皇家系譜の謎を解く掖邪狗(ク)と掖邪拘(カウ)》
「天皇家系譜の謎を解く掖邪狗(ク)と掖邪拘(カウ)」
ここで掖邪狗を
『日本書紀』が八坂と書くものを、
『古事記』が八尺と書くのはなぜか、
その理由もご説明しておこう。
それは『記・紀』の編集者が、どちらも『倭人章』を持っていたことと、
その種類が違っていたことを、二重に証明する証拠があるからなのである。
日本で一般に使われている
『汲古閣(きゅうこかく)・魏書倭人章』に
「掖邪狗」と書かれている「狗」の字は、
『宋本・魏書倭人章』や
『紹興(しょうこう)版本・魏書倭人章』では「拘」の字になっている。
この2つの文字は、少し下手に書くと、
どちらだかわからないはど似ているが、
その発音は「狗はク」だが、
「拘はカウ」と発音したから、
掖邪狗は「ヤジャク」で八尺にぴったり、
掖邪拘は「ヤジャカウ」で「ヤジャカ=ヤザカ=八坂+ウ=王」だから、
八坂王と当て字したために、
『古事記』と『日本書紀』とで、
当て字が違ったのだと真相がわかる。
すると漢字で書いた天皇家の系譜は無くて、
双方の編集者はともに見ていないのである。
彼らは2種類の『魏書倭人章』で、
この人物の存在を知って、それに上記の当て字をした。
そのとき(=8世紀)になって初めて漢字で書いた
『天皇家の系譜』が出来上っためである。
八坂と八尺のどちらが正しいなどとはいえない。
しかし
八坂神社とそれから生まれた八幡社とが全国的に分布しているから、
史学では八坂を使用するほうが便利だ。
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