2012年10月29日月曜日
崇神と景行は他人と『記・紀』が証言
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録17:3頁
《崇神と景行は他人と『記・紀』が証言》
「崇神と景行は他人と『記・紀』が証言」
内藤虎次郎氏は伊声耆掖邪狗を一人の名だと決めたが、
一人か二人か?はっきり見極めてみよう。
『記・紀』の百襲姫姉弟の系譜には、
「掖邪狗」という名に合う名乗りは見当たらなかったから他の系譜を調べて見ると、
「ヤジャク」にぴったりの名乗りがみつかる。
『古事記』「景行天皇」の天皇の妃の一人に、
八尺入日子命の女(むすめ)八坂之入日売命という名乗りの姫がいる。
その父の「八尺」はまさに「ヤジャク」にぴったりの名乗りだ。
『日本書紀』をみると、
この父は八坂入彦皇子で、
媛は「美濃」の住人になっているが、
その当時の「ミノ」は旁国の弥奴国しかないから宮之城で、
これまで見てきたことと、よく一致する。
だが『日本書紀』の編集者は私たちのように真相を知らないから、
弥奴をミノと読んで、
単純に彼の知識内の8世紀の「美濃」に翻訳して記入してしまったのである。
掖邪狗は皇子だった。
それなら『記・紀』が崇神天皇と尾張大海(オオアマ)媛との子として記録する
八坂入彦の命以外にない。
『記・紀』はどちらも、
景行天皇がこの人物をまるで知らないという書き方をしている。
しかし
『記・紀』系譜では
崇神は景行の祖父だから八坂入媛は景行天皇の父・垂仁天皇の妹で、
叔母なのである。
『記・紀』自身がこんなふうに崇神と景行は祖父と孫ではなく
「他人」だったと証言しているのを見落してはいけない。
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