2012年10月2日火曜日
伊声耆の領地だった旁国の空白域
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録16:7頁
《伊声耆の領地だった旁国の空白域》
「伊声耆の領地だった旁国の空白域」
卑弥呼は疑いなく天照大神でもあるから、
その両親はイザナキ・イザナミの両神である。
その同じ両親をもつ彦五十狭芹彦が、
父と同じ名乗りをもつのは2世だからだとわかるが、
よく注意すると発音が微妙に違っている。
父はイザナキだから沖縄の伊是名王という名乗りに合うが、
息子のほうはそれには合わないで、
イサの王を意味している。
鹿児島県には今も伊佐郡があり、首都は大口市である。
この大口という名は「真神」の枕言葉として使われていて、
『万葉集』1636にも「大口の真神の原に降る雪は、いたくな降りそ、家もあらなくに」
という歌がある。(「舎人娘子 雪の歌一首」)
なぜ大口が、神にかかる枕言葉なのかというと、
古来、狼のことを「大口の神」と呼んでいたためだという。
狼はオオカミで大神だとすると、
伊佐の大口は伊勢の大神と同じ意味になる。
鹿児島語は a を e に発音するから、
伊佐も本来はイセに対する当て字だったのである。
これで伊勢の出発点は沖縄の伊是名島で、
それが鹿児島の伊佐に移り、
さらに三重の伊勢に移った事実が大層よくわかる。
また伊声耆が伊佐の王だったことがわかると卑弥呼の旁国に、
この伊佐郡とその周辺が入っていなかったのは、弟の領地だったからだと、
旁国空白の理由が完全にわかる。
大学講義録15の地図と百襲姫の名乗りには、はっきりそこに空白域がある。
伊勢のルート
沖縄の伊是名島→鹿児島の伊佐→三重の伊勢
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