2012年10月13日土曜日
ソナカ帰化記事の分裂と時代錯誤
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録16:19頁
《ソナカ帰化記事の分裂と時代錯誤》
「ソナカ帰化記事の分裂と時代錯誤」
こうしてソナカ到来の時期が確定できると、
『日本書紀』の記事と時代のズレが確認でき、
その構成が粗雑で、かなりの分析と整理、再編集が必要なことが明瞭になる。
その動かない証拠=実例として、
この『日本書紀』ソナカ関連記事の分散ぶりを少し見ておこう。
『天孫降臨』前記(皇紀元年=B.C.E.660年で、それよりも以前)高天原「天稚彦」神話
『崇神天皇』65年(皇紀624年)任那国「蘇那曷叱知」を派遣して朝貢。
『垂仁天皇』 2年(皇紀639年)任那国「蘇那曷叱知」帰国。
『垂仁天皇』 2年(皇紀639年)一云、意富加羅国王子「都怒我阿羅斯等」帰化。
一云、→ 『比売語曾』伝説。
『垂仁天皇』 3年(皇紀640年)新羅王子「天日槍」来て、播磨と淡路島に居住許可。
『垂仁天皇』88年(皇紀725年)新羅王子「天日槍」の神宝と結婚と家系。
『仲哀天皇』 2年(皇紀847年)「足仲彦」天皇、気長足姫尊を皇后にする。
今は別問題なので細部は省くが、
これらの記事は全部同じソナカと卑弥呼の記事である。
その正確な時期は、
160年代だから皇紀だと820年ごろになる。
『日本書紀』の紀年がどんなにデタラメか、
記事がどんなに無茶な編集になっているか、
よくお分かりになったと思う。
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