2012年10月12日金曜日
ソナカが起こした第1次倭国大乱
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録16:18頁
《ソナカが起こした第1次倭国大乱》
「ソナカが起こした第1次倭国大乱」
これで伊声耆や彦五十狭芹彦、伊佐や出水や伊都、出雲などの名は、
ソナカが日本列島へきて、
仏教とギリシャ文明とを伝えた後から次々に生まれたことや、
意味不明の地名「敦賀」が
アレクサンドロスの別名が語源だったことなどが、
おわかり戴けたと思う。
彼が来た時の記録=『日本書紀』の
姫語曽伝説その他を注意して読めば、
彼が国外からきて卑弥呼と結婚し、
彼の死後、卑弥呼が連邦女王に共立された後、
女王国や一族の領土が、次第に拡大していったのは、
ごく当然のことだと誰にでもわかる。
ソナカがアレクサンドロスの後継者を自認していたことが、
こうして『日本書紀』に記録されていたのだ。
その渡来の時期は卑弥呼との結婚からみて後漢の桓・霊の間で、
ぴったり『倭人章』が倭国大乱を記録している時期であり、
その直後に卑弥呼が共立されているから、
天の稚(ワカ)彦物語と総合すれば、
その大乱がソナカの侵入によるものだったのは間違いない。
またその物語は、
彼を派遣した宣布団が近くまで来ていたことも記録しているし、
長谷、藤原もポセイドンが語源だったことも、
これまでご一緒に見てきた通りで、
疑う余地がないから、
卑弥呼自身ポセイドン信仰をもった
ギリシャ~インド系シンドゥ教徒の家に生まれている。
当時の南九州はすでに濃密な
東西文化混交の国際化社会だったのである。
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