2012年10月20日土曜日

吉備津彦の領地は旧・飯野まで



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録16:26頁

 《吉備津彦の領地は旧・飯野まで
 「吉備津彦の領地は旧・飯野まで

 それまでは伊佐郡は山深い辺境で、

 彦五十狭芹彦・吉備津彦の所領に合うかどうか迷いがあったが、

 この日の海老野登山で一望のもとにそれをみて、

 始めて確信がもてた私(加治木義博)は、

 その次の休日に大口市へ出かけて、

 ときおりご指導を仰いでいた高名な考古学者・寺師見国医師をお訪ねした。

 するとお近くにお住いの作家・海音寺潮五郎氏を招かれて、

 私(加治木義博)の話を聞いて戴き、大発見だ!と

 大いにお祝い戴いた。

 それから早くも半世紀。

 今また本講を書くことになり、

 今は亡きお二人の想い出に浸り、ご冥福を祈る機会をえた。

 学問の世界は清々しい。

 私(加治木義博)はいま人間の幸福とは何かを、

 心から思わずにはいられない。

 余談が混じったが、吉備津に戻ると、その候補はもう一つある。

 それは市の東瑞に当たる地域で、合併前は町名だった「飯野」だが、

 今は消えてしまって小学校とJRの駅名として残るだけである。
 
 この市には「上江=ウワエ」があって「上井=倭」の訛りだと分かるが、

 この辺りでは「エ」と「イ」の発音が混乱するから、

 飯野の古音「イヒノ」も「エヒノ」であったとみるほうが、

 吉備津→海老野→飯野の関連を教えてくれて有意義である。

 えびの市の名は、戦後の観光ブーム時代に、

 脚光を浴びた海老野高原を利用した知恵者の作品に過ぎないが、

 その原名は「海神族の老首長」をうまく表現した秀作だったと褒めていい。

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