2012年10月17日水曜日
史実を消した天武『日本書紀』による被害
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録16:23頁
《史実を消した天武『日本書紀』による被害》
「史実を消した天武『日本書紀』による被害」
ここで、もう一度、出雲の関連神社名を見て戴きたい。
それを『日本書紀』の伊声耆への当て字=彦五十狭芹彦と比べて見ると、
全部ちがっている。
伊佐・因佐・伊勢は皆、伊佐とつながり、
出雲も出水と同じ名への当て字だとすぐわかるが、
それらの社名は『日本書紀』にある
彦五十狭芹彦も吉備津彦も全然知らない。
『日本書紀』に書かれた名が本来の名乗りだったのなら、
こんなことにはならない。
神社名も五十狭我とか五十狭賀とか五十狭波神社と書かれ、
国名も郡名も「五十(イズン)国・五十(イズン)郡」で、
出雲などという国はなかったはずなのだ。
だが現実には出雲の人々は、
『日本書紀』編集者が創作した当て字を全然知らず、
祭神たちが『日本書紀』の彦五十狭芹彦たちだという事実も知らない。
せいぜいが「出雲国造の祖・伊佐我命だ」といった、
京大元総長の知識ていどのものしかもっていない。
せっかく自分たちの血を分けた先祖を尊んで、
幾つもの神社を建てて祭りながら、
その先祖が誰で、何をしたのか全然わからないという、
なんとも情けない状態が現在まで続いたのである。
天武天皇の『日本書紀』編纂の企みは、
そこまで私たちの先祖たちの歴史を
闇に葬り去り国民の眼を昏(くら)ませてしまったのだと
わかる実例がここにある。
それなのに過去の歴史関係者らは、
そんな『日本書記』のほうを「真実だ」と錯覚し、
教え続けてきたのである。
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