2012年10月26日金曜日
「径百余歩」のもつ内容
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録16:32頁
《「径百余歩」のもつ内容》
「「径百余歩」のもつ内容」
当時の中国の尺度名の「歩」は、
古代の周では面積をあらわす名で、
日本で今も使われている「坪」に当たる。
『禮記』には
「歩は本来は、周尺八尺平方だったものが、
今では周尺六尺四寸平方になってしまった」という記事がある。
周の1尺は多少の乱れはあるが約23cm。23x6.4=147cmで、
1歩は約1.5m平方=畳半分ほどの面積である。
これがやがて長さの単位にも使われるようになって行き、
歩と書いてあっても、
どちらなのか考証が必要だが、
魏の時代の尺度は、
後漢の孝章帝の時(C.E.75~88)、
漢代で初めての改正があって、
そのまま・使われていたもので、
孝章帝の建初六年八月十五日造という銘文を彫った1尺の物差の実物
(青銅製 23.8cmが残っていて、
清代の『湖海集』という本に図入りで記録されている。
他にも長さは1~2mmの差があるが同時代の遺品が複数ある。
魏の尺は漢のものより少し長くなったという説もあるが、
それであっても大した差はない。
卑弥呼の墓の、経百余歩というその「径」を直径のこととすると、
23.8x6.4、=151.8cmが1歩で、
それに余歩がついているから直径151m+αの円墳だが、
これは倭人里で直径3里にした企画に見える。
経百余歩が今の「百余坪」式の面積表示なら50畳=25坪ほどの広さだ。
また殊更に歩で表現したのは、
魏人が自ら「歩いて」測量したんだ!という誇示でもある。
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