2012年10月5日金曜日
爾支を入彦に変えた天武天皇
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録16:10頁
《爾支を入彦に変えた天武天皇》
「爾支を入彦に変えた天武天皇」
ではこの伊都国の支配者「爾支」とは誰で、
何を意味していたのだろうか?。
この文字の発音は ニヤ チェ だが、
これを古沖縄語とみて意味を考えると、
それは標準語の「ニシ」で、
沖縄語なら「北」のこと、
標準語なら「西」と同じ発音になる。
いうまでもなく、支配者たちは沖縄出身者だから、
この「ニシ」は「北の王=守護職」を意味している。
しかし連邦の首都機能をもった、重要な伊都国の支配者の名乗りが、
「北」だけでは余りにも、お粗末に過ぎはしないだろうか…。
しかしお粗末に見えても、
それが事実だったことを『日本書紀』が証言している。
それは『日本書紀』編集者が、
天武天皇らの歴史改悪政策に合わせて書き替えているが、
それでも完全に立証しているのである。
その証言とは
『崇神天皇紀』と『垂仁天皇紀』に特記されている「入彦」という称号である。
『日本書紀』編集者は、
この北の称号の「ニシ」を、奈良から見た西の方角にすり替えて、
沖縄語の西は「イリ」だからと訂正して「入彦」と当て字した。
「入彦」は、間違いなく方角を示す称号が実在した証拠なのである。
なぜそんなお粗末な称号が記録に残ったのか?。
それは国名まで変わったほどの大変動時だったからだともいえるが、
だがその本当の語源は急ごしらえの職名だったわけではない。
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