2012年10月7日日曜日
「名乗り」を知らずに国史は語れない
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録16:12頁
《「名乗り」を知らずに国史は語れない》
「「名乗り」を知らずに国史は語れない」
伊都国副官名の軍君と、
卑弥呼の弟の彦五十狭芹彦の軍君とは、
完全に別人である。
そのことはこれらの名が名乗りであって個人名ではない、ことを教えている。
個人名は一生ついて回るが、名乗りは地位とともに変わる。
卑弥呼の弟は卑弥呼政権敗北と同時に、それらの名乗りを失って、
それは戦勝者・位宮側の人物の名乗りになってLまったのである。
『魏書倭人章』を正確に理解するためには、
このように政権が交替した事実を完全に把握して、
それを基礎にして判読して行かないと、
この泄謨觚柄渠觚のように
敵・味方の複数の人物を記録している文化財を、
ただ一人の人物の個人名だと誤解して平気でいるような恥をかくことになる。
国史学の基礎は「名乗り」に始まるといっても過言ではないのである。
かつての邪馬台国ブーム期の著者たちが、
国史の初歩の基礎常識として、
当然もっていなければならないはずの知識=「名乗り」の存在すら知らずに、
ただの思いっきだけで、
盛んにお門違いな想像説をデッチあげていた記録が、
私(加治木義博)の手元にも山積しているが、
功を焦って出世欲に駆られた悲喜劇の遺物、
20世紀日本の国史学を記録した文化財として、
後世の人々に警告し続ける役には立つ。
しかしまだ、
「卑弥呼の弟が戦いに敗れて名乗りも領地も地位も失ったという証拠はどこにある?」と
疑問視する人がないとは限らない。
それに答えよう。
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