2012年10月24日水曜日
吉備津彦誕生の時間帯座標=忌瓮(いむべ)
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録16:30頁
《吉備津彦誕生の時間帯座標=忌瓮(いむべ)》
「吉備津彦誕生の時間帯座標=忌瓮(いむべ)」
これで吉備がなぜ巴利国の「道の口」なのか、
よくわかるようになった。
吉備津彦が酒の力を借りて「えびの市」一帯を味方につけ、
彼の支配下においた事情が、
情景になって眼に浮かぶようにわかる。
その時期が事実、卑弥呼の死直後のことだったことを、
証明している「時間帯の座標」もまたちゃんとある。
それは彼が使った小道具の忌瓮(いむべ)である。
おわかりのように「忌む」というのは「嫌う・恐れる」という文字で、
彼が飲ませた酒の種類を表現している。
仏教徒は人が死ぬと「忌」と書いた紙を門口に貼る。
この時の「忌」は、卑弥呼が死んだあと、彼が好古都国王や貴族たちを招集して、
今はなき卑弥呼の冥福を祈って酌み交わした弔いの洒だったことを、
わざわざ特記したものなのである。
それでなければ無意味に、
縁起の悪い言葉なんかくっつけて「忌瓮」などと書く必要はない。
彼はその時それで新たに大吉備津彦になった。
そして私たちは今それで史実を復元した。
これで前記『古事記』の文章の、
私(加治木義博)の訳が正しいこともおわかり戴けたと思うが、
念のため、
疑問が残るかと懸念のあろ要点だけを説明しておこう。
他は辞書をおひき戴きたい。
「於 針間 氷河之前 居 忌瓮 而 針間 為 道口 以 言向 和 吉備国」。
於 ……から…へ 居 置いて 瓮 酒壷 而 それで……を 以 によって
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