2012年10月10日水曜日
海神族だから巴利都もハイト
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録16:15頁
《海神族だから巴利都もハイト》
「海神族だから巴利都もハイト」
彼彼(彦五十狭芹彦)の国譲りのほうが、
7世紀の国譲りより「出雲神話」に相応しいが、
よくみると出雲のほうが、出水よりもイズンと読める当て字だ。
彼彼(彦五十狭芹彦)が恵比寿であり出雲の神様であることは、
これで一層確かになったが、
思い出して戴きたいのは、出水の本当の語源だ。
それがポセイドンに対する当て字「百済出水」の後半だということは、
もう本講でお話し済みだ。
出水の最初の発音は「イドン」だった。
だとすると彦五十狭芹彦の「五十」はイドに対する当て字で、
「十」を「ド」と発音していたのだ。
この濁音はベトナム語タイプだ。
この神名が使われ始めた地域は東南アジアで、
それが次の段階=古沖縄語で
o が u になって、「イヅ」に変わったのである。
こうしたことも当時の人々の人種構成がどうなっていたかを教えてくれるが、
そんなことは本講は日的外だから、脱線してはいられない。
これで
姉が「百襲姫=ポセ=百済」、
弟が「五十の=イヅン=出水」と、
神の名を二つに分けた名乗りをもっていたこと、
それはそれ以前に地名が分かれていたためだと、
より鮮明に理解できた。
彼らは海神ボセイドンの信者の一族だった。
海人=アマや、海人=ハイト、海幸と呼ばれ、
卑弥呼が仏教王・ソナカと結婚して巴利仏教の教主になったために、
首都国名に巴利を当てて「巴利国」としたが、
発音はやはりハイトと呼んでいたのである。
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