2015年6月6日土曜日

倭人伝が記す「会同〔集会〕と天安河の「神集い」①

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
 セブンネット

 ※出典:『日本創世記』著者「小嶋秋彦」:200~208頁
 
 倭人伝が記す「会同〔集会〕と天安河の「神集い」

  倭人伝を注意深く読むと倭人及びその社会の性格がみえてくる。

 まず「風俗不淫」とある。

 これを東洋文庫は「倭人の風俗は規律正しい」と読み下している。

 確かに大漢和辞典が「淫」字の語義として「みだれる、みだす」と

 上げているので、その否定として「みだれない」となり、

 その品性が公正であると説いていると理解できる。

 また「婦人不淫不妬不盗」とある。

 こちらの「淫」は性的な品行をいい

 「婦人はみだらでなく嫉妬もしない」との意味だが、

 「不妬」はあまり信じられない。

 重要なのは「不盗」とある記述で「盗難がない」と理解される。

 この「品行公正」「不盗」は完全でないにしても現代20世紀まで

 日本人が公明正大との社会通念として体現してきた気風であった。

 21世紀に入った今日、そのような風潮は危機に瀕している。

  更に重要な記述がある。

 「其會同座起父子男女無別人性嗜酒」と

 述べられていることである。

 紀元前後には倭では社会習慣として

 「集会〔會同〕」が行われていたのである。

 本書第2章(9)の「(b)弥奴国」で

 吉野ヶ里遺跡には祭壇と大きな建屋はあっても、

 それは「王宮」ではないと説明したように、

 国々は住民による会合を行っていて

 大きな建屋はそのためのものであったとみられる。

 「会同」とは現代中国でも常用している「共同する」との用語で、

 倭人伝の文面からすると、それは「集会」である。

 東洋文庫はそこを

 「集会では座席の順序や立ちふるまいに

  父子や男女による区別はない」と読み下している。

 この部分の解釈については、

 倭は未だ未熟(未開)な社会だから

 出鱈目に座ったり振る舞っただけでだとする向きが

 これまでの見方としてあるが、それは妥当としない。

 その一般生活の習慣として、

 「大人所敬〔大人(有力者)に対して尊敬を示す法〕」や

 「下戸興大人相遥道路~

  〔下戸(下級の者)が大人と道で出会った場合〕」の

 作法との説明があり、

 この「集会」においての仕方は全く独特であり、
 
 極めて特筆に値する。

 そこに指摘されている内容は「男女の差別がない」

 「父子といった社会的序列もない」という。

 座る者〔参加者〕は一切「平等」という仕様である。

 こうした集会は祭壇の近くで、

 あるいは巫師の同席の下行われたに違いない。

 つまり神の前との観念である。

 それは「神社」の思想でもある。

 日本では現代に至っても神社の氏子制は継続されている。

 江戸時代でさえ徳川将軍も神田明神や日枝神社の一氏子であった。

 歴史の実際として「氏」は漢字として「家・家系」だが、

 本来の「ウジ」はシュメル語の uzu 〔占い師:巫子〕による表現で、

 その巫子に信頼し従う人々を「氏子」といったのである。

  巫子は「ヒメ」であったと既に説明した。

 繰り返すと「ヒメ」 pa-me 〔呼ぶ‐神託(神の命令)〕が

 その役務であった。

 「氏子」とは

 その「集団(集落など)が奉祭する神の命令に従う者たち」である。

 それも問題を直接的に神に伺いを立てるのではなく、

 前もって氏子たち構成員たちが集会を開いて相談しあい

 決定を得られた場合はそれで済みとなるが、

 意見対立でどうにも纏まらない場合に限り巫子を通して

 神託を受けるための神事を行ったのである。

 つまり物事は神前での平等を基礎に決められていたのである。

 そういう社会状況下、

 卑弥呼は倭の共和国全体の最高の巫子(女)であったのである。

 倭人には「集会を開く」社会習性があった。

 それは日本文明の特性として涵養され続け、

 後代の「惣」を生む状況を作った重要事項であった。

 その祭壇は「神社」として確立され、

 その体制は現在世界に類をみない博愛共生の思念となっている。

 それは神道などではない「神社」の思想である。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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