2015年6月15日月曜日

倭人伝が記す「会同〔集会〕と天安河の「神集い」③

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
 セブンネット

 ※出典:『日本創世記』著者「小嶋秋彦」:200~208頁
 
 倭人伝が記す「会同〔集会〕と天安河の「神集い」

  アズミ族の領域奴国にも集会場はある。

 「宇賀神社」〔福岡市中央区大宮〕で「宇賀」が ukkin に依る。

 なぜそう解釈できるかの理由は同社を「高宮」といい、

 周辺に「多賀」との地称が連なるからである。

 その「タカ」は倭名抄筑前国那珂郡田来郡名を継承するもので、

 dug〔壺〕の音写に依る。

 前述した集会の際神々は酒を飲む。

 倭人伝の「性嗜酒」とある飲む酒を入れておく容器名で、

 この壺は単なる土器製の容器ではなく、

 特別なシュメルでは sakir と呼ばれた。

 現糸島市の元岡遺跡から発掘され、

 現在同市の伊都国歴史博物館に所蔵されている

 「ひょうたん型土器」 といわれている

 瓢を立てた頭部には穴(口)はなく、

 太く脹らんだ胴部に大きな穴(口)が開けられている壺である。

 この壺は高さが31、胴幅22センチメートルの大きさで、

 完全なまま出土したのはここだけで

 その外福岡市内の那珂遺跡や壱岐のカラカミ遺跡から

 破壊されたものが出土している。

 また、遠く離れた奈良県桜井市三諸山の山の辺遺跡から

 小型ながら概念を同じくする胴に

 大きめの穴が開けられた壺が出土している。

 集会の際にはこの器にお酒「御神酒」を入れ、

 細い筒〔ストロウ〕を穴に差して回し飲みにした。
 
 そうすれば、共同意識が高揚する。

 この壺〔タカdug〕が集会に用いられる sakir である。


  『古事記』に「安之河原」との表記があった。

 「安:ヤス」を「場」との解釈を示したが、

 漢字表記の「安」には興味ある事件がみえてくる。

 「安」は第2章(9)の(c)斯馬国」で述べた

 「安野」〔福岡県朝倉郡夜須町〕名と「夜須」と同称視される。

 実際、その周辺に「安川(河)」はある。

 現在、甘木市内を流れる小石原川は「安川」であったらしい。

 市名「甘木」にしても前述の通り an-mah 〔天・高い〕で

 「アマハ(き)」である。

 その中心市内の甘木地区に「須賀神社」が鎮座しており、

 同名も集会のための酒器名 sakir と判断でき、

 ここで何らかの集会が行われたと教えられる。

 どいいう集会かは須賀神社近くに

 「屋須多神社」が鎮座していることで明白である。

 同名社は大牟田市八本町付近特有の神社である。

 つまり邪馬臺国の卑弥呼を傍国の国々の首領が参集して相談の上、

 統合の巫女とすることを決めた集会の場がここである。

 集会での決議後それを記念してか卑弥呼の祭場名の聖所を

 ここに奉祭したと判断される。

 安川(小石原川)も古代には今よりかなり野放図な流れで幅も広く

 須賀神社の鎮座地辺りまで「河原」であったのだろう。

  邪馬臺国の卑弥呼を〔共和国〕共通の「巫女」と

 決定した首領の一人として、

 夜須町(斯馬国)の長者〔大人〕の様子を第2章で紹介したが、

 もう一国の参同者を紹介する。

 傍国の斯馬国に次いで二番目に記されている国「巳百支国」で、

 同国の当該地は現嘉穂郡穂波町の「椿」名の地である。

 平安時代には今の地名区域に限らない広域が

 「椿荘」との荘園であった。

 「巳百支」は漢音で si-pai(po)-gi で

 「ツバキ」はその遺存名といえる。

 隣りの桂川町内に「寿命」との町名がある。

 これは za-maha〔人・大きい(上位の)〕の音写で、

 「斯馬」 名と同根である。

 倭人伝に「大人」とある語義で、

 そこに「首領、長者」がいたと示唆している。

 その隣りの地称「中屋」は夜須町の「中屋:ナカツヤ」と同じく

 na-gadu-e 〔神殿の神職を指名する〕により、

 「巳百支」国の首領も斯馬国の首領と共に

 「安之河原」の集会に参加し、卑弥呼の推薦で活躍したのである。

 そして、その意向が是認されたので、その由縁をもって同地に

 「天道」〔寿命の東隣の地称〕と邪馬臺国の太陽信仰を

 招来させたと推測されるのである。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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