2015年6月25日木曜日

魏略・逸文

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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 歴史学講座『創世』歴史研究家「小嶋 秋彦」:2013/12/19

 倭人伝が記す「会同〔集会〕と天安河の「神集い」

 ≪魏略 逸文≫

 ※出典:古代史獺祭 

 魏略 (逸文1) 前漢書 卷二十八下 地理志 燕地 顔師古注

(原文)

 倭在帯方東南大海中 依山島爲國 度海千里復有國 皆倭種

(読み下し)

 倭は帯方東南大海の中に在り。

 山島に依て國を爲す。

 渡海千里にしてまた國有り。

 皆、倭種。

 魏略 (逸文2) 翰苑 卷三十

(原文)

 従帯方至倭循海岸水行歴韓國至拘邪韓國 七十里

 始度一海千余里 至対馬國 其大官曰卑狗副曰卑奴 

 無良田南北市糴

 南度海 至一支國 置官与対同 地方三百里

(読み下し)

 帯方より倭に至るには海岸に循いて水行し、

 韓國を歴て拘邪韓國に至る。七十里。

 はじめて一海を度る千余里。対馬國に至る。

 其の大官を卑狗と曰い、副を卑奴と曰う。

 良田無く南北に市糴す。

 南に海を渡り一支國に至る。官

 を置くこと対に同じ。

 地の方三百里。

 魏略 (逸文3)  翰苑 卷三十

(原文)

 又度海千余里 至末廬國 人善捕魚 能浮没水取之

 東南五百里 到伊都國 戸万余 置官曰爾支 副曰洩渓 

 柄渠 其國王皆属女王也

(読み下し)

 また海をわたること千余里。 

 末廬國に至る。 

 人、よく魚を捕え、よく水に浮没して之を取る。

 東南五百里にして伊都國に到る。

 戸は万余。

 官を置くに爾支といい、副を洩渓、柄渠という。

 その國王、皆女王に属する也。

 魏略 (逸文4) 翰苑 卷三十

(原文)

 女王之南又有狗奴國 以男子爲王 其官曰拘右智卑狗 不属女王也

(読み下し)

 女王の南、また狗奴國あり。 

 男子を以って王と爲す。 

 其の官を拘右智卑狗という。 

 女王に属さぬなり。

 魏略 (逸文5) 翰苑 卷三十

(原文)

 自帯方至女國万二千余里

 其俗男子皆黥而文 聞其旧語 自謂太伯之後

 昔夏后小康之子 封於会稽 断髪文身 以避蛟龍之害

 今倭人亦文身 以厭水害也

(読み下し)

 帯方より女國に至るには万二千余里。

 その俗、男子は皆、黥而(面)文(身)す。

 その旧語を聞くに、自ら太伯のすえという。

 昔、夏后小康の子、会稽に封ぜられ断髪文身し、

 以って蛟龍の害を避く。

 今、倭人また文身し以って水害を厭わす也。

 魏略 (逸文6) 北戸録 卷二 鶏卵卜

(原文)

 倭國大事輒灼骨以卜 先如中州令亀 視占吉凶也

(読み下し)

 倭國、大事には輒ち骨を灼き以って卜う。

 先ず中州の令亀の如し。

 を視て吉凶を占う也。

 魏略 (逸文7)  三國志 魏書 東夷伝 倭人 裴松之注

(原文)

 其俗不知正歳四節但計春耕秋収爲年紀

(読み下し)

 その俗正歳四節を知らず、ただ春耕秋収をはかり年紀となす。

 魏略 (逸文8) 法苑珠林 魏略輯本 所引

(原文)

 倭南有侏儒國 其人長三四尺 去女王國四千余里

(読み下し)

 倭の南に侏儒國有り。

 その人のたけ三、四尺。

 女王國を去ること四千余里。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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