2015年6月11日木曜日

倭人伝が記す「会同〔集会〕と天安河の「神集い」②

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
 セブンネット

 ※出典:『日本創世記』著者「小嶋秋彦」:200~208頁
 
 倭人伝が記す「会同〔集会〕と天安河の「神集い」

  さて、倭の人々の集会も「神々が集会を開く」との神話伝承に

 影響されたかとみられる。

 その神話の発祥地はメソポタミアであり、

 アズミ族によってもたらされたのである。

 「神々の集会」となれば一神教では成り立たないし、

 その社会文化の中に同様な集会を行う慣習がなければ

 神話にまで止揚されなかったろう。

 一神教のキリスト教とは縁がないし、

 多神教といってもギリシャ神話ではたくさんの神がいるものの

 ゼウス神という絶対的権勢を持つ神が支配しているので集会はない。

 旧約聖書の世界の「主〔神〕」は、世界に多くの神はいようが、

 「あなたたち(ヘブライ人たち)」はわたしと契約したのだから、

  わたしはあなた方の「主」であり、

  わたしのいうことに従いなさい」という主旨で、

 人々の集会を求めないし神々の集会など想定されない。

  これに対し、メソポタミアの特定の神話では、

 「創世」の最初期から神々が集会を開いて決定したとの物語があるし、

 「人々の集会」「神々の集会」へと

 その決議経緯がみえる物語として遺存されている。

  まず「アトラ・ハシース物語」の人間のからむ物語を紹介する。

 前項「(7)アズミ族の正体」で紹介した

 『メソポタミア』の著作家ジャン・ポテロの別の著書

 『バビロニア』〔創元社〕によると、

 この物語が粘土版に

 楔形文字で書かれたのは紀元前1800年頃という。

 人間のいない神々だけの社会が原初にあり、

 下級の神々はその重労働に耐えられなくなって

 上級の神と同等でないのは不当だと抗議して

 ストライキを始めてしまったという。

 そうした大混乱の中、最も智恵のある神が、

 粘土で神々で似た者たちを創り、それに労働させようと

 神々の身代わりを作るとの方策を提案した。

 身代わり者の運命には諸条件が付帯されたが、

 この案は神々の全体会議で満場一致で可決されたとある。

 身代わりの者こそ人間であおの創世の物語である。

 その詳細はさておき、神々が会議〔集会〕を開き

 重大事項の決定を行ったのである。

 神々がただ参集することにそう意味はないが、

 「決議(決定)」機能がそこにあった。

 これは古代メソポタミアの人間社会にあったことが想定される

 重大事項として認識されるべきである。

  さらにこの「神々の集会」の状況や決議に至るまでの過程を

 粘土版の資料から紹介して「原始民主制」と主張した

 トゥル・ジェイコプセンの著書に詳しくみる。

 彼の研究は『西洋古代史論集』や

 『世界の歴史』〔岩波書店〕などに翻訳されている。

 彼はまず市民の集会が行われていたからこそ「神々の集会」が

 伝えられているのだとの見解を述べている。

 その著書 Praimitive Democracy in Ancient Mesopotamia から

 興味ある要点を指摘する。

 彼は述べる。

   神の世界にみられる集会は広い民主的木曽に依拠している。

  アダト神の神話を参照すると「全神の集会」で、

  参加には性別の制限はなく女神たちも男神たちと同様に

  その討議で積極的な活躍ができた。

  メソポタミアの最高の権威はこの神々の集会にあった。

  そこに述べられている男神女神の区別はなく

 全員が参加するとの仕方は、倭人伝「男女無別」と記すのに合致する。

 ジェイコプセンは詩歌をかなりたくさん紹介しているが、

 その中に次のような詩句がある。

 初めの部分はその解説である。

   集会は常に ubshu-ukkin と呼ばれる大きな所で開催される。
 
  神々が到着すれば同様に参会のため遠くからやってきた友人や

  縁故者と会い抱擁し合う。

  その守護された場所で神々は高価な料理を囲んで座る。

  ワインや強い酒がすぐに彼等を

  幸福な気遣いのいらない雰囲気にする。

  畏れも心配も消え失せる。

  こうして会合はより重大な事項に取組む用意ができる。

    彼等は発言を決めて宴会の場に坐す
 
    彼等はパンを食べ飲酒する

    甘い酒は彼等の恐れを追払う

    彼等は強い酒を飲むに従い喜びを歌う

    彼等は極まって陽気となり心は高揚する

    こうして彼等の闘士マルドックに向って

    彼等の厳粛な決定を布告する

  この様子は倭人伝の「会同」記述の終わりに

 「人性嗜酒(倭人は酒をたしなむ)」とあるのに整合しており、

 その「嗜酒」は単に飲酒が好きだというのではなく、

 集会においては飲酒しながら相談を進めるとの趣旨で、

 メソポタミアの仕様が踏襲されたものである。

  この集会は ubshu-ukkina と呼ばれる

 大きな定められた場所で開催されるという。

 その ukkin(a) こそシュメル語の「集会」「会議」名である。

 『古事記』の天石屋戸の条に

 「是を以ちて八百萬の神、於天安之河原、神集て、訓集云都度比」

 とある。

 『日本書紀』には天照大神と素盞鳴尊の誓約の場で

 「一書曰はく、日神素盞鳴尊と天安河を隔てて、

  相對ひて乃ち立ちて誓ひて曰はく……」とある。

 「神道大辞典」には

 「アマノヤシカワ天安河、高天原所在の河、

  天八湍、天八十河とも書く、

  群神の集会は多く此の河畔で行われた」とある。

 これらの用語を「神々の集会」の祖地

 シュメルの用語として解釈すると、

 まず「安河」は音読で「アンカ」で明らかに unken の音写である。

 「アマ:天」は an-mah〔天・高い〕で「高天原」表記に対応する。

 「都度比:ツドイ」は za-dug〔人-たくさん〕で

 「たくさんの人」 が基である。


 「安之河原」の「カワラ:河原」は

  ka-bal〔口-交換する〕で「会話する」、

 「安:ヤス」は is〔地〕で「(会話する)場所」とすることができる。

 このように「神々の集会:神集い」はメソポタミアが祖地である。

 「神無月」「神有月」と年に一度神々が集会を開くとの伝承がある

 出雲〔島根県〕にも、

 出雲大社の所在地に「宇迦」との山名地称があり、

 ukkin〔集会〕名が与えられており、

 大社の所在地は本来神々の集会の場だったのである。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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