2015年6月23日火曜日

魏書倭人章(魏志倭人伝):読み下し文

 『浦和レッズレディース』
 『ひねもす至福の時』
 『誕生日の花と花ことば』
 『湘南ベルマーレ』
 title="『明星院・広島県歴史&地名他』">『明星院・広島県歴史&地名他』
 『広島・明星院』
 『広島・明星院』
 『madiのブログ』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 Matのジオログ
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
 セブンネット

 歴史学講座『創世』歴史研究家「小嶋 秋彦」:2013/12/19

 倭人伝が記す「会同〔集会〕と天安河の「神集い」

 ≪魏書倭人章(魏志倭人伝):読み下し文≫

  倭人は帯方東南大海の中に在り、山島によりて國邑をなす。

 もと百余國。漢の時に朝見する者あり。今使訳通ずる所三十國。

 郡より倭に至るには、海岸にしたがいて水行し、韓國をへて、

 しばらく南し、たちまち東し、その北岸狗邪韓國に到る。

 七千余里にしてはじめて一海を度る。

 千余里にして対海【馬】國に至る。その大官を卑狗といい、

 副を卑奴母離という。居する所絶島にして、方四百余里ばかり。

 土地山険にして、深林多く、道路は禽鹿の径の如し。

 千余戸あり。良田なく、海物を食して自活し、

 船に乗りて南北に市糴す。

 また南に一海を渡ること千余里(名を瀚海という)にして

 一大國に至る。官をまた卑狗といい、副を卑奴母離という。

 方三百里ばかり。竹木叢林多く、三千ばかりの家あり。

 やや田地ありて、田を耕せどもなお食するに足らず、

 また南北に市糴す。

 また一海を渡ること千余里にして末廬國に至る。四千余戸あり。

 山海に浜いて居す。草木茂盛し、行くに前人を見ず。

 よく魚鰒を捕え、水深浅となく、皆沈没してこれを取る。

 東南、陸行五百里にして、伊都國に到る。官を爾支といい、

 副を泄謨觚柄渠觚という。千余戸あり。

 世に王ありて、皆女王國に統属す。郡使の往来常に駐まる所なり。

 東南、奴國に至るには百里。官を兕馬觚といい、

 副を卑奴母離という。二万余戸あり。

 東行して不弥國に至るには百里。官を多模といい、

 副を卑奴母離という。千余家あり。

 南、投馬國に至るには水行二十日。官を彌彌といい、

 副を彌彌那利という。五万余戸ばかり。

 南、邪馬壹【臺】國(女王の都する所なり)に至るには

 水行十日、陸行一月。官に伊支馬あり、次を彌馬升といい、

 次を彌馬獲支といい、次を奴佳鞮という。七万余戸ばかり。

 女王國より以北はその戸数・道里を略載し得べきも、

 その余の旁國は遠絶にして詳かにするを得ず。

 次に斯馬國あり、次に已百支國あり、次に伊邪國あり、

 次に郡支國あり、次に彌奴國あり、次に好古都國あり、

 次に不呼國あり、次に姐奴國あり、次に対蘇國あり、

 次に蘇奴國あり、次に呼邑國あり、次に華奴蘇)國あり、

 次に鬼國あり、次に爲吾國あり、次に鬼奴國あり、

 次に邪馬國あり、次に躬臣國あり、次に巴利國あり、

 次に支惟國あり、次に烏奴國あり、次に奴國あり。

 これ女王の境界の尽くる所なり。

 その南に狗奴國あり、男子を王となす。

 その官に狗古智卑狗あり。女王に属さず。

 郡より女王國に至るには万二千余里。

 男子は大小となく、皆黥面文身す。

 古より以来、その使中國にいたるや、皆自ら大夫と称す。

 夏后少康の子、会稽に封ぜられしに、断髪文身し、

 もって蛟竜の害を避く。

 今、倭の水人、よく沈没して魚蛤を捕え、文身し、

 またもって大魚・水禽を厭わせしも、後やや以て飾りとなす。

 諸國の文身各々異り、あるいは左にあるいは右にし、

 あるいは大にあるいは小に、尊卑差あり。

 その道里を計るに、まさに会稽東治【冶】の東にあり。

 その風俗淫ならず。男子は皆露紒し、木緜を以て頭に招ぐ。

 その衣は橫幅にして、ただ結束して相連ね、ほぼ縫うことなし。

 婦人は被髪屈紒(ひはつくっかい)し、

 衣を作ること単被の如く、その中央を穿ち、頭を貫きてこれをきる。

 禾稲(かとう)・紵麻(ちょま)をうえ、

 蚕桑緝績(さんそうしゅうせき)し、

 細紵縑緜(さいちょけんめん)をいだす。

 その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし。

 兵には矛・楯・木弓を用う。木弓は下を短く上を長くし、

 竹箭はあるいは鉄鏃、あるいは骨鏃なり。

 有する所、擔耳・朱崖と同じくは無し。

 倭の地は温暖にして、冬夏生菜を食す。皆徒跣。

 屋室ありて、父母兄弟、臥息処を異にす。

 朱丹を以てその身体に塗る、中國の粉を用うるが如きなり。

 食飲には籩豆を用い手食す。

 その死には棺あるも槨なく土を封じて冢を作る。

 はじめ死するや喪に停まること十余日、時にあたりて肉を食わず、

 喪主哭泣し、他人就いて歌舞飲酒す。

 すでに葬れば、挙家水中に詣りて澡浴し、もって練沐の如くす。

 その行来、渡海して中國に詣るには、

 つねに一人をして頭梳らず蝨を去らず、衣服垢汚、肉を食わず、

 婦人を近づけず、喪人の如くせしむ。

 これを名づけて持衰と爲す。

 もし行く者吉善なれば、共にその生口・財物を顧し、

 もし疾病あり、暴害に遭えば、便ちこれを殺さんと欲す。

 その持衰謹まずといえばなり。

 真珠・青玉をいだす。その山に丹あり。

 その木には・杼・予樟・楺・櫪・投・橿・烏号・楓香あり。

 その竹には篠・簳・桃支。薑・橘・椒・蘘荷あるも、

 以て滋味となすを知らず。獮猴・黒雉あり。

 その俗、挙事行来に云爲する所あれば、輒ち骨を灼きて卜し、

 以て吉凶を占い、先ず卜する所を告ぐ。

 その辞は令亀の法の如く火坼を視て兆を占う。

 その会同・坐起には、父子男女別なし。人性酒を嗜む。

 大人の敬する所を見れば、ただ手を搏ち以て跪拝に当つ。

 その人の寿考、あるいは百年、あるいは八・九十年。

 その俗、國の大人は皆四・五婦、下戸もあるいは二・三婦。

 婦人淫せず、妬忌せず、盗竊せず、諍訟少なし。

 その法を犯すや、軽き者はその妻子を没し、

 重き者はその門戸および宗族を没す。

 尊卑各ヽ差序あり、相臣服するに足る。

 租賦を収むるに邸閣あり。

 國國市ありて有無を交易し、大倭をしてこれを監せしむ。

 女王國より以北には、特に一大率を置き、諸國を検察せしむ。 

 (諸國)これを畏憚す。常に伊都國に治す。

 國中において刺史の如きあり。

 王、使を遣わして京都・帯方郡・諸韓國にいたり、

 および郡の倭國に使するや、皆津に臨みて捜露し、

 文書・賜遣の物を伝送して女王にいたらしめ、差錯するを得ず。

 下戸、大人と道路に相逢えば、逡巡して草に入り、

 辞を伝え事を説くには、あるいは蹲りあるいは跪き、

 両手は地に據り、これが恭敬を爲す。

 対応の声を噫(/)という、比するに然諾の如し。

 その國、本また男子をもって王となし、

 とどまること七、八十年。倭國乱れ、相攻伐すること歴年、

 すなわちともに一女子を立てて王となす。

 名を卑弥呼という。

 鬼道につかえ、能く衆を惑わす。

 年すでに長大なるも、夫婿なく、男弟あり、たすけて國を治む。

 王となりしより以来、見る者少なく有り、

 婢千人を以て自ら侍せしむ。

 ただ男子一人あり、飲食を給し、辞を伝え居処に出入す。

 宮室・楼観・城柵、厳かに設け、常に人あり、兵を持して守衛す。

 女王國の東、渡海千余里にしてまた國あるも、皆倭種なり。

 また侏儒國あり、その南にありて人の長三、四尺、

 女王を去ること四千余里。

 また裸國・黒歯國あり、

 またその東南にありて船行一年にして至るべし。

 倭の地を參問するに、海中洲島の上に絶在し、

 あるいは絶えあるいは連なり、周旋五千余里ばかりなり。

 景初二年六月、倭の女王、大夫難升米等を遣わし郡に詣り、

 天子に詣りて朝献せんことを求む。

 太守劉夏、吏將を遣わし送りて京都に詣らしむ。

 その年十二月、詔書して倭の女王に報じていわく、

 「親魏倭王卑弥呼に制詔す。

  帯方の太守劉夏、使を遣わし汝の大夫難升・次使都市牛利を送り、

  汝献ずる所の男生口四人・女生口六人・班布二匹二丈を奉り

  もって到る。

  汝がある所はるかに遠きも、すなわち使を遣わして貢献す。

  これ汝の忠孝、我はなはだ汝を哀れむ。

  今汝を以て親魏倭王となし、金印紫綬を仮し、

  装封して帯方の太守に付し仮授せしむ。

  汝、それ種人を綏撫し、勉めて孝順をなせ。

  汝が来使難升米・牛利、遠きをわたり、道路勤労す。

  今、難升米を以て率善中郎將となし、牛利を率善校尉となし、

  銀印青綬を仮し、引見労賜し遣わし還す。

  今、絳地交龍錦五匹・絳地縐粟十張・絳五十匹・紺青五十匹を以て、

  汝が献ずる所の貢直に答う。

  また特に汝に紺地句文錦三匹・細班華五張・白絹五十匹・金八両・

  五尺刀二ロ・銅鏡百枚・真珠・鉛丹各ヽ五十斤を賜い、

  皆装封して難升米・牛利に付す。

  還り到らば悉く録受し、もって汝が國中の人に示し、

  國家汝を哀れむを知らしむべし。

  故に鄭重に汝によきものを賜うなり」と。

 正始元年、

 太守弓遵、建中校尉梯儁等を遣わし、詔書・印綬を奉じて、

 倭國に詣り、倭王に拝仮し、ならびに詔を齎し、

 金帛・錦・刀・鏡・采物を賜う。倭王、使に因って上表し、

 詔恩に謝す。

 その四年、

 倭王、また使の大夫伊声耆・掖邪狗等八人を遣わし、

 生口・倭錦・絳青縑・緜衣・帛布・丹・木・短弓矢を上献す。

 掖邪狗等、率善中郎將の印綬を壱拝す。

 その六年、詔して倭の難升米に黄幢を賜い、郡に付して仮授せしむ。

 その八年、太守王頎官に到る。

 倭の女王卑弥呼、狗奴國の男王卑弥弓呼と素より和せず。

 倭の載斯烏越等を遣わして郡に詣り、相攻撃する状を説く。

 塞曹史張政等を遣わし、因って詔書・黄幢を齎し、

 難升米に拝仮せしめ、檄を爲してこれを告喩す。

 卑弥呼以て死す。大いに冢を作る。

 徑百余歩、徇葬する者、奴婢百余人。

 更に男王を立てしも、國中服せず。更に相誅殺し、当時千余人を殺す。

 また卑弥呼の宗女壹【臺】與年十三なるを立てて王となし、

 國中遂に定まる。

 政等、檄を以て壹【臺】與を告喩す。

 壹【臺】與、倭の大夫率善中郎将掖邪狗等二十人を遣わし、

 政等の還るを送らしむ。

 因って台に詣り、男女生口三十人を献上し、

 白珠五千孔・青大句珠二枚・異文雑錦二十匹を貢す。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

0 件のコメント:

コメントを投稿