2014年5月16日金曜日

阿曇・安曇(14)石門「中津」


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 阿曇・安曇(14)石門「中津」

 A 中津宮「勝山神社」福岡県福岡市東区志賀島勝馬

    勝山 志賀海神社(福岡市東区志賀島)の背後の山名

    「御笠山、衣笠山と三山」

    勝島神社(福岡市東区志賀島沖津島)志賀島の

    西北端沖にある神社「沖津宮」という岩礁

    ※志賀海神社の「旧跡」との伝承がある。

  勝「カツ」ka-tu「門・入口:門口」

  中津「ナカツ」na-ka-tu「石・門・入口」石門口<入口の門の石>

   ※石は「神の住む天界への出入口」

    ○メソポタミアのジッグラト:石の山

    ○「旧約聖書」創世記第二八章10~22

     10 さてヤコブはベエルシバを立ってハランへ向かったが、

     11 一つの所に着いたとき、日が暮れたので、

       そこで一夜を過ごし、

       その所の「石」を取って枕とし、そこに伏して寝た。
     
     12 時に彼は夢をみた。一つの梯子が地の上に立っていて、

       その頂は天に達し、

       神の使いたちがそれを上り下りしているのを見た。

     17 そして彼は恐れて言った「これはなんと恐るべき所だろう。

       これは『神の家』である。これは『天の門』だ」 

     18 ヤコブは朝はやく起きて、

       枕としていた『石を取り、それを立てて柱とし』、

       その頂に油を注いで、その所の名をべテルと名づけた。

     22 また、わたしが柱に立てた

       この『石を神の家』といたしましょう。

      ◎ 石は『神の家』への『天の門』である。

  志賀海「シカウミ」zikum「天空:天」

   ※ 志賀海神社とは本来「天空」「天」-神を奉祭する祠である。

     その本来の天神は、

     中津宮(勝山)神社の天門を通った

     向こうの沖津宮(勝島神社)に鎮座する神である。

     しかし、この宮も「勝」である限り、

     あくまで「天門」にすぎず。

     その本宮は、がるか彼方にあることとなる。

   ○ zikumは(米)は、また深海を表すengurとも訓まれる。

     この概念が阿曇磯鹿の祖像である。

 B 壱岐(長崎県壱岐郡:壱岐島)

  「イキ」ig 戸・扇

   津之宮神社(壱岐郡石田町池田東触)「ツノ」tu-na「入口・石」

  ○都之神社(石田神社、壱岐郡石田町石田東触)

   「ツメ」『延喜式』神名帳石田郡津神社「ツノ」

  ○角上神社(壱岐郡石田町湯岳與触)、角上山

   「ツノ」『延喜式』神名帳壱岐嶋壱岐郡角上神社「ツノカムノ」

   都上神社(壱岐郡芦辺湯岳本村触)「ツノ」
 
  ○與神社(壱岐郡芦辺湯岳與触)

   「イキ」ig 「扇・戸」『延喜式』神名帳石田郡與神社「ヨノ」

   津ノ上神社(壱岐郡郷ノ浦町牛方触)

   津の上山(壱岐郡芦辺町住吉前触、神社のすぐ北側)

   中野郷(壱岐郡芦辺町)「ナカ」na-ka 「石門」

   仲触(壱岐郡勝本町)「ナカ」

   中津神社(壱岐郡勝本町北触)「ナカツ」na-ka-tu 「石・門・入口」

   『延喜式』神名帳壱岐嶋壱岐郡中津神社<名神大>
 
 「地図」壱岐島

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