2014年5月29日木曜日

阿曇・安曇(20)地名「アルパチャ」:Arpachiya

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 阿曇・安曇(20)地名「アルパチャ」:Arpachiya

  これまで説明の対象にしてきた碗形土器を出土した

 アルパチャ遺跡からは、その他にも牛頭意匠をあしらった

 鉢形土器などの彩色土器類が発見されていることは先に説明した。

 これらの土器類は外から輸入されたものでなく、

 この域内で焼成されたものであることは

 イスマイル・ヒジャラなどイラクの専門家の発掘調査により

 明らかになっている。

 ここに「牛頭信仰」の拠点があったことを知らせる

 土器類の遺留状況である。

 アルパチャArpachiya遺跡はニネヴェの東側で

 そう遠くない地点に位置している。

 ニネヴェはアッシリア帝国の中心都市であった。

 紀元前1800年頃に北メソポタミアに君臨し始めた

 古アッシリアは首都を南下させ、

 新アッシリアの紀元前9~7世紀になると

 ニネヴェを中心とする地域に首都を置くようになる。

 アッシリア語の牛頭を表す用語はアルプalpuである。

 この言葉は北メソポタミア起源でもないし、シュメル語でもない。

 紀元前1600年を少々遡る頃地中海沿岸のカナアン地方で発明された

 原カナアン文字の系統に連なる言葉である。

 この文字は、楔形文字の表意文字に対し、表音文字の始源となり、

 フェニキア語(ウガリト文字)、アラム語、後のヘブライ語、

 アラビア語の基礎となったばかりでなく、

 その波及はフェニキア文字を取り入れた

 ギリシャ文字やラテン文字へと広がり、

 現在使われているアルファベットの根源でもある。

 アッシリア語alpuはこの原カナアン語alpを移入した呼称である。

 因みにalpはフェニキア文字などで変化し、

 現在の「A」になっており、この文字体系をalphabetというのである。

 アルパチャの地名はこのalpuに起源をもつ。

 ハラフ期からカルトkhaldと称されていた「牛頭」は、

 多分中期アッシリア時代からかアルプに変名したのである。

 その後「土地」ないし「境界」を意味するto^をつけ、

 地名としてArpachiyaが成立し、現在に至っていると考えられる。

 この地方に「牛頭信仰」の拠点としての神殿があったことを

 示しているといえるだろう。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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