2012年11月1日木曜日

『記・紀』では多分裂した拘右制卑狗



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録17:6頁

 《『記・紀』では多分裂した拘右制卑狗
 「『記・紀』では多分裂した拘右制卑狗

 この「狗」と「拘」の2文字は、

 狗奴国男王の国名への当て字でも、似た結果を生んでいる。

 『汲古閣本・魏書倭人章』は「狗古制卑狗」と書くが、

 『宋本・魏書倭人章』その他はみな「狗古智卑狗」と書き、

 『魏略』逸文では「拘右智卑狗」と書く。

 狗古制卑狗と拘右智卑狗とは、古と右、制と智が違っているが、

 これを拘右制とすると、「 kau u jai カウーヤイ」になり、

 『日本書紀』の編集者は、

 この名の人物を、

 難升米=綏靖天皇の兄として「神八井命=カウヤイのミコト」と

 当て字していることがわかる。

 また他の編集者は、

 狗奴国は当然「高の国」だから「カウ=高・チ=津」で、

 拘右智こそカウチなのだと重視していながら、

 後にワザと当て字が変えられて「手研耳」にされている。

 しかしこれも「タケ ン 耳」で、高の耳=高津王である。

 この皇子は殺されてしまうが、
 
 崇神天皇の軍に討たれた

 「武埴安彦」も「タケチ・アンビコ」と読めるので、

 「高津兄彦」と書くことができるから、

 同じ名乗りで同じ時の存在、やはり同一人物なのだ。

 これで神八井命は「制」の字のある

 『倭人章』が基になって生まれた名だとわかったが、

 『魏略』の拘右智は「カウウチ」で、

 川内・河内という地名によく合っている。

 名乗り=地名なのだから、

 3世紀の当て字はこれが正しく、

 他は誤りだと明確に断定できるのである。

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