2012年4月20日金曜日

倭のサイズを知り尽くしていた魏人



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録10:11頁

 《倭のサイズを知り尽くしていた魏人
 「倭のサイズを知り尽くしていた魏人

 まだある。

 『魏人章』には「自 郡 至 女王国 萬二千余里」と、

 わざわざ書き加えてある。

 これを計算してみると、

 帯方郡から狗邪韓国まで7000余里そこから末盧国までが3000余里も

 そこから伊都国までが500里で、計10500余里。

 萬二千余里との差は1500余里しかない。

 伊都国から1500里で女王国に着くと教えているのである。

 それを倭人里で換算してみると、

 熊本県八代市あたりまでの距離である。

 もちろんそこが女王国の中心だというのではなく、

 女王国の国境までの最短距離である。

 また他にも「参問 倭地 絶在 海中 洲島之上 或絶 或連 周旋 可 五千余里」

 「倭地」のサイズも書いてある。

 この倭地とは、どこからどこまでを指すのか考えてみると、

 伊都国から1500里以上も離れている女王国から、

 さらに4000余里も離れている侏儒国や、

 船で一年もかかる遠方の裸国や黒歯国は、

 この中には絶対に含まれていない。

 これはそうした島国を除外した倭の本体部分を指しているから、

 この文章は対馬から女王国までの4000里に、

 もう1000里を足したもので、

 それに該当する地域は

 南九州の島々=狗奴国などまでの距離だということになる。

 女王国が、

 八代市から台湾北端近くまでの広大な広がりをもっていたとは書いてない。

 対馬から5000里どまりなのである。

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