2012年4月15日日曜日

明確に「倭は連邦」と決定



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録10:5頁

 《明確に「倭は連邦」と決定
 「明確に「倭は連邦」と決定

 魏書には

 「烏丸」

 「鮮卑」

 「東夷」

 という3つの「章」があり、

 「東夷」の一族には

 夫余

 高句麗

 東沃狙

 悒婁

 

 

 倭人

 という7つの政権があって、

 当時の中国人からみれば倭人とは、

 ご覧のとおり-番最後に書かれた「最涯(さいは)ての政権」だった。

 倭人記事は、

 『陳寿の魏書の中の東夷伝中の倭人という一章』なので、

 短く表記しても『陳寿偏=魏書・東夷伝・倭人章』であって、さらに短く略称しても、

 『魏書・倭人章(ギゥェイショ・ウワイジン・ショウ)』でなければならない。

 過去の史学の未発達、低迷は、

 こうした呼び名一つにも歴然と暴露していて、

 お恥ずかしい限りである。

 では「倭人」とは単なる政権名か?…

 それから考えてみなければならない。

 その冒頭には、

 当時朝鮮半島にあった帯方郡の東南に位置する島国で、

 山や島で生活している小国が、

 もとは100余国に分かれていて、

 後漢代には使者を寄越した国もあり、

 いまは通訳を連れた使者が往来する国が30カ国ある。

 と、その主要部の地理条件や政権の概要が書いてある。 

 特に見落としてはならないのは、

 倭人政権は一つの国ではなく、

 もとは100以上の国に分かれていたし、

 魏に使節を送った国も30国ある複数の国で構成されているという記事で、

 それはきっぱり明確に

 「倭は連邦である」と決定し報告していて、

 疑問の余地がない。

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