2012年4月19日木曜日

東冶(や)は絶対に間違い。東治(ち)が正しい



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録10:10頁

 《東冶(や)は絶対に間違い。東治(ち)が正しい
 「東冶(や)は絶対に間違い。東治(ち)が正しい

 この記事は古来もう一つ論争点をもっていた。

 それは「會稽東治(とうち)の東」を

 「會稽東冶(とうや)の東」と誤解していたことである。

 これは「治」と「冶」という文字の「篇(へん)」が、

 三水(さんずい)か二水(にすい)かという点一個の差なので、

 「古文献類は写し間違いや、虫食いや、染み汚れなどによって読めなくなる」

 という多数の事例が災いして、いまだに決着がつかない問題とされてきた。

 だがこれは、

 文字の問題として論争すること自体が問題なのであって、

 それは問題の本質を見抜けずにいたからに他(ほか)ならない。

 この問題が東治(とうち)と東冶(とうや)が指す地域のどちらが

 地理学的に合理的か不合理かで、

 簡単に勝敗が決まる性質のものでしかない。

 東冶(とうや)はいまの中国福建省閩侯(ミンコウ)県福州の古名で、

 台湾の北端から西北約260kmの台湾海峡寄りにある港湾都市である。

 こちらが正しいとすれば、

 會稽の東は鹿児島県南部なのだから、

 そこから南へ台湾の北端近くまでと限定される地域は

 疑いもなく沖縄、南西諸島一帯である。

 これならまさに「邪馬台国琉球説」だが、

 この説には幾つもの決定的欠陥がある。

 それは女王国の南端・奴国を

 沖縄の那覇市とみても南にあるはずの狗奴国が存在しないし、

 伊都国に合う糸満はあるが南北関係が逆。

 道程も、最大の沖縄本島でも陸行一月もわざわざ歩く必要がない。

 またそんな所にいてはとても連邦全体を統治できないからである。

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