2013年2月3日日曜日

卑弥呼の仏教は後の真言密教の先祖



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録20:10頁

 《卑弥呼の仏教は後の真言密教の先祖
 「卑弥呼の仏教は後の真言密教の先祖

 しかしこの『十二天曼荼羅』の二図は、

 理明房興然(りみょうぼうこうねん)が集めた

 『諸尊曼荼羅集三巻』の中にあるもので、

 文章に簡単な略図をそえただけのものだったが、

 弟子の光宝大僧頭(だいそうづ)がそ

 の略図に油紙を重ねて幾つかの図像を詳しく描き、

 さらに定真(じょうじん)が

 それを補って天福元年(1233年)に完成したもので、

 今は隆聖がそれを写した複製本が京都の東寺にあるだけである。

 なぜ?、日本では弘法大師空海以後につくられた曼荼羅に、

 卑弥呼当時の知識がそのまま残ったのであろう?。

 空海は804年に入唐して慧果に法灯を譲られ、806年に帰朝している。

 13世紀の天福よりは早いが、卑弥呼からは6世紀が経過している。

 これは我が国に伝わっていたものと考えるよりも、

 インドに古くあったものが卑弥呼らの『鬼道』になり、

 それとは全く無関係に別ルートで伝わったものが

 『十二天曼荼羅』として表現されたが、

 いま私たちが見るとそれが同一のものだったことが明瞭になった、

 ということ以外にはない。

 これで卑弥呼の仏教が、

 のちの真言密教にいちばん近いものだったことがわかった。

 それが観世音菩薩を信仰するのはなぜか、

 これでほぼ答が出た。

 そればかりではない。

 弘法大師は唐で師の慧果との会話に不自由せず、

 永年慧果に師事した兄弟子の唐僧らをさておいて、

 法灯を譲られて日本に持ち帰った。

 それがなぜだったか、その謎もこれで解けるのである。

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